河内長野のクロスワード (全般・解説編)

河内長野は、山青く、水清らかな地である。
この地では、古来より幾多の歴史が刻まれ、多くの文化遺産や史跡が残された。そしてそれらにゆかりの人たちが、その名を当地に留めている。
当地を散策すると、これら多くの史跡や文化財が、我々を待っている。またこれらに携わった人々との出会いもある。
このクロスワードを解くことにより、“カギ”とその“答え”が解ると、河内長野のことがモット、モット身近なものとなり、親近感も湧いてくるのではないだろうか。そしてそのような地を是非、訪ねてみたいとの衝動に駆られてくるのではないだろうか。
サア!! “河内長野のクロスワード”を解いていこう。 
河内長野をモット深く、広く知るために !!

           R3(‘21)・12・11  横山 豊

【タテのカギ】
2:飛鳥時代、日本国家のデザインをしたのは高向玄理(クロマロ)。
  高向神社や“くろまろの郷”その名を留めている。
3:南北朝時代、北朝の光厳、光明、崇光(スコウ)の三上皇は、金剛寺の
  観蔵院(現・奥殿)に幽閉されていた。
4:江戸時代、河内長野に存在した唯一の藩は、西代(ニシンダイ)藩で、
 今の長野小学校、中学校、そして清教幼稚園の地に陣屋は築かれていた。
5:河内長野で初めての世界遺産“世界かんがい施設遺産”を構築したのは、
  中村與次兵衛(ヨジベイ)
6:河内長野の日本(ニホン)遺産は「中世に出逢えるまち」「女人高野」、
      そして「葛城修験」の三つ。
7:昔、宿場があったのは三日市(ミッカイチ)宿で、今もその面影を残している。
8:高野山女人堂への道しるべは、里程(リテイ)石と言い、堺から高野町まで13本ある。
  当市には、9里石(長野・古野町)、8里石(三日市町)、7里石(天見)の3本が残され
  ている。
10:“日本遺産”に認定されている参詣道は、高野(コウヤ)街道で、
   東高野街道、中高野街道、下高野街道、西高野街道と4本あった。
12:“世界かんがい施設遺産”に認定された寺ヶ池(テラガイケ)池は、
   今から約370年前に構築された。
14:縄文時代から使われていた弓矢で、矢の先端に取り付けられていたのは鏃(ヤジリ)
16:“女人高野”、“天野行宮”と呼ばれるお寺は、天野山金剛(コンゴウ)寺。
   なお冬に樹氷が見られる大阪府下で一番高い山の名は“金剛山”。
18:“国の史跡”で“日本遺産”に認定されている中世の城郭は、烏帽子形
  (エボシガタ)城。ちなみに河内長野の中世は、阿観による金剛寺の再興
   からこの城の廃城までをいう
19:ヤソ地蔵が祀られているのは、喜多町の大日(ダイニチ)寺
   安土桃山時代、当城の周辺には約300人のキリシタンが住んでおり、
   当地はキリシタンの町だったようである。
21:織田信長や豊臣秀吉など戦国武将が愛飲したお酒は、天野(アマノ)酒で、金剛寺で
   醸造されていた。
22:文化財のうちで動かせないモノ、例えばお寺の境内やお城は、国の史跡(シセキ)と
   いう。一方、動かせるモノ、たとえば屏風や刀剣、甲冑、仏像などは、その重要性で
   国宝とか重要文化財などに分類されている。
23:咳止めの原料にもなる縁起の良い木は、南天(ナンテン)。天見地区で多く見られる。
26:飛鳥時代、川上地区から吉祥を示す白い鳩(ハト)が献上された。
   河内長野の“花と木”は、決められているが、“鳥”は未定。
   そこで“鳩”を当市の鳥にしたら良いのでは・・・。
30:田畑で鳥獣から農作物を守る人形は、案山子(カカシ)。
   最近、当市でもメッタニ見られなくなった。
31:烏帽子形城のお姫様、戦国時代随一の美人は、「タシ(ダシ)」。“たし”は、烏帽子形城
   の城主・碓井因幡守定仙(うすい いなばのかみ じょうせん)の女。
   伊丹の荒木村重に嫁いだが、村重が信長に謀反を起こしたため、京都六条河原で打ち首と
   なってしまった。なお浮世絵の始祖で“浮世又兵衛”とあだ名される岩佐又兵衛の生母でも
   ある。
32:紀見峠を越えると紀伊(キイ)の国。なお当市は、東は大和、北は摂津、西は和泉の国に
   囲まれている。
33:畠山比佐(ヒサ)は、江戸から明治時代にかけて、三日市で裁縫を教えていた女性。
   漢学者の藤沢南岳が撰文した石碑が旧三日市小学校跡地に立てられている。
35:延命寺の蓮池にある島は竹生島を表しているが、この島は、滋賀(シガ)県にあり、
  「琵琶湖周航の歌」では、“瑠璃の花園”、“珊瑚の宮”と歌われている。

【ヨコのカギ】
1:河内長野の花 菊(キク)
2:河内長野の木 樟(クス)、菊、樟とも昭和44年に制定されている。
4:江戸時代まで女人が参詣できた寺院は、女人(ニョニン)高野と呼ばれ、
  R2(‘20)年、当市では天野山金剛寺が“女人高野”として日本遺産に認定された。
7:河内長野は、市域の70%を森林で占められている緑(ミドリ)の町である。
9:諸越(モロコシ)長者は、贅沢に飽き、浪費を重ね、その結果、没落、
  最後は餓死したと。なお長者は、長野公園に住まいしていたと伝えられている。
11:空海が北斗七星を勧請したと伝えられる七つの星(ホシ)塚は、観心寺の金堂を取り
   囲んでいる。
13: 焼くな!!と言われながら、毎年焼かれる岩湧山の茅(カヤ)場の標高は、
   897(やくな)m。
15:河内長野の特産品・楊枝の原料は、黒(クロ)文字。なお白樺の楊枝も
  当市の特産品である。
17:烏帽子形城のキリシタン領主は、伊智地(イヂチ)文太夫。なお文太夫夫人の妹は、
   高槻城主 高山右近夫人。従って文太夫は右近の義兄になる。
18:延命(エンメイ)寺は、紅葉の名所、空海お手植えの夕映えの紅葉が美しい。
20:諸越長者の伝説のあるお寺は、三日市の月輪(ガチリン)寺。
   本尊の薬師如来は、弘法大師空海の作で長者へのお礼として贈られたと
   伝えられている。
23:寺ヶ池とその導水路は、R3(‘21)年11月、“世界かんがい施設遺(イサン)に認定
   されている。寺ヶ池の素晴らしいところは、単に土手を築いて水を貯めて                                                    いるだけでなく、13.8Kmに及ぶ導水路(井路)を構築していることである。
25:金剛寺摩尼院の“摩尼(マニ)”は、“真珠”や“宝石”など珠玉の総称。
   摩尼院は、摩尼宝殿の意で、摩尼珠で造られた宮殿、弥勒菩薩の居所のこと。
   日本の真珠の故郷は伊勢志摩(シマ)。
27:金剛寺再興の阿観上人は、当寺の鎮守として、丹生(ニウ)明神を勧請し    
   同時に高野明神と当地の神・水分明神も勧請している。
28:盛松寺は、空海ゆかりの柚子(ユズ)味噌で有名。
   毎年12月21日の“終い弘法”には、地元でこの柚子味噌が配られている。
29:楠木正成に兵法を教えたのは、大江時親(トキチカ)で、長州毛利家の祖と
   伝えられている。             
30:烏帽子形城を築いた武将は、中村一氏(カズウジ)。
   のちに駿河・駿府14万石、伯耆米子17万石の国持大名に出世している。
31:滝畑(タキハタ)は、たくさんの瀧がある河内長野の秘境。市内最大の滝畑湖もある。
34:観心(カンシン)寺のご本尊は、秘仏の如意輪観音坐像、毎年4月に御開帳がある。
36:縄文時代の食料には、栗やクルミ、トチの実や椎(シイ)の実などの木の実があった
37:古代国家への回帰を夢見た河内の土豪は 楠木正成(マサシゲ)。
   鎌倉時代より幕末に至るまで日本の政治は武家が行ってきたが、それを否定した唯一の
   武将。
38:長野(ナガノ)神社は、昔は“木宿の宮”と呼ばれていた。
   当神社の本殿は、重要文化財であるが手で触ることができる非常に貴重な文化遺産で
   ある。