松林寺横の春日神社に無患子(むくろじ)の樹がある。
この樹の種子は羽根つきの羽根の玉に使われるが、また数珠の珠としても活用されてきた。
数珠はもともと古代インドの神官・バラモンが持っていた法具と言われ、聖なる言葉を繰り返し唱える時に紐に通した珠を繰ってその数を間違えないようにするための道具であった。これがペルシャを経てヨーロッパに伝わり、カトリックの数珠・ロザリオになったと伝えられている。いずれもその目的は数の確認のためだった。
数珠の珠数は、百八つが基本。この珠数は我々人間が持つ煩悩の数と同じと言われ、珠を一つずつ繰って行くごとに煩悩が一つずつ浄められ、数珠を一周繰れば百八つの煩悩全てが浄められると言われている。
このように、数珠は単なる数を数える道具から、なぜかその数が煩悩の数を表すと別の解釈が加えられた。日常では、簡易型の54個(1/2)や27個(1/4)のものも多く使われ、現代人には百八つもの煩悩がないようである。
しかしながら、我ら凡人。珠一個が一つの煩悩を浄めるならば、百八個では少なすぎるし、特に我には、残念ながらもっと多くの珠数が要りそうである。煙草は止めるべきか。お酒は減らそうかと煩悩がまた一つずつ増えていく。
そこで今年は、百八つを越えるような長い長い数珠を作り、我の煩悩を浄めていくべきではとまた悩む。それにしても煩悩を断ち切ることなど可能であろうか。
嗚呼!!煩悩よ。
(永峯藤太)