活きている真の武士道

最近のニュース番組を観ていてつくづく思うことは、評論家やジャーナリストたちのレベルの低さである。そしてそのコメントにウンザリする。
彼らは、今回の東日本大震災での日本人の行動を「我慢強い」の一言で表現している。
これでは海外での日本人に対する評価をそのまま、しかも何の疑問も持たずに紹介しているに過ぎない。
諸外国では、このような大惨事が起こると「暴動」や「略奪」あるいは「便乗値上げ」などが多発する。しかし「日本人は、我慢強い」のでこのようなことは起こっていないと言うのである。
しかし日本人は本当に「我慢強い」のだろうか。
「我慢」とは、自らの欲望を抑えることを言い、「我慢強い」とは、自らの満足の充足を図るために行動をしないことを言う。
しかし日本人は、本当に「暴動」や「略奪」をしたいと思っているのであろうか。そのような気持を自ら抑えているのであろうか。仮に、そのような気持ちを日本人が抱いて いるならば、国際社会が評価するように日本人は確かに「我慢強い」と言えるであろう。 しかし実際の日本人は、そうではない。
混乱時に、あるいは困っている人たちが大勢いるような時に、そのような犯罪的行動を起こすことは、「自らの人間としての尊厳が失われる」ことを日本人の誰もが知っている。一度そのような行動を取れば、生涯に渡って悩み苦しむことを知っている。一時の欲望を満たすよりも生涯に渡って「自らの尊厳が失われる」ことのほうをもっと恐れているのである。
従って、日本人は決して「我慢強くない」。最初から我慢などしていない。 「我慢するという欲望の抑制」と「人間としての尊厳の喪失」とでは、次元が全く異なる。

「己に克つ心(克己・こっき)」を育て、「困難にあっても動じない」「難局に直面しても取り乱さない」あるいは周囲の者に「明るく振舞う」「自然に振舞える」ように自ら修練した武士たちの世界・武士道の世界がここに垣間見えるのである。
武士道は、まだ活きている。

 (横山 豊)