棚田は、人類が創造した景観!!河内長野 中ノ谷の棚田【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

 地球の悠久の歴史のなかで山も川も、そして谷も海も、地球上のあらゆる景観が造られてきた。そして我々は日本国内だけでなく海外まで出かけて行ってこの美しい景観を楽しみ称賛している。

 しかし人類が造った美しい文化景観がある。それが“棚田”である。
棚田は、山や谷間の、あるいは海岸近くの傾斜地に階段状に構築された水田、稲作地である。畝が段々に重なって上に伸びていく様が“棚”に似ていることら“棚田”と呼ばれるが、棚田は“稲作地”を、そして“段々畑”は傾斜地に構築された“畑”を指している。

 しかしこのような傾斜地に造られた耕作地を我々は一般的に“段々畑(だんだんばたけ)”と呼び棚田とは特に区別していない。
 棚田は、我々にとって昔からのごくありふれた景観であるが、その7割近くは、西日本で構築されており、東海地区から東日本にかけては少ない。これは西日本の地形が急峻で山がいきなり海に落ち込んでいく土地が多いためのようである。

 棚田の歴史は古く、古墳時代にはすでに構築されていて、その遺構が見つかっているが、文献上での初見は応永13年(1406)の『高野山文書』で「池ノ水ヲ引ク也。(中略)今ハ山田ニテ、棚ニ似タル故ニ、タナ田ト云」とある。

 山間部や海岸部の耕作地の少ない所では、棚田は食料の確保に貢献してきたが、今では米の余剰と作業性の悪さから放棄地も増えてきており残念なことである。
 棚田の多くは、山間部の傾斜地に構築されているが、地形に合わせて急勾配の棚田もあれば、緩斜面の棚田もある。さらに西日本では、畔畝が土造りだけでなく石垣で築かれた棚田もある。そして棚田は山が海に落ちていく崖のような所でも構築されていて人間の努力や工夫の素晴らしさを感じると共に、我々に感動も与えてくれる。

 棚田は、お米を作るためだけの、単なる生産拠点として築かれているが、それ以外にも多くの機能がある。
 例えば棚田が持つ保水力であるが、日本では多くの雨が降るがその雨を国土の7割を覆う森林が保水し、さらに田畑や棚田などもその役割を果たしている。そしてこの保水効果により洪水の防止や多種多様な生き物の生命も育んでいる。

 そして何世代にも渡り受け継がれ守られてきた棚田は、我々をホットした気持ちにさせてくれる。眼前に広がる棚田を見た時、我々はその美しい景色に感嘆の声を上げ、そして忘れていた何かしら懐かしい気持ちが沸き上がってくるのを覚える。これが棚田である。
 棚田には、人間のたくましい努力が見られ、その努力に感動すると共に、賛辞を贈りたくなる。よくぞここまで構築したと。そしてまた人間の偉大さにも称賛したくなる。棚田は人類が創造した偉大な景観であると。

 ところで平成11年(1999)、農林水産省は、棚田の維持は難しいが、その棚田を観光資源として活用できる所を日本の“棚田百選”として選定した。そして大阪府下では、下赤阪の棚田(千早赤阪村)と長谷の棚田(能勢町)が選ばれている。また文部科学省も棚田を文化財として捉え選定している。

さらに平成30年(2018)、ユネスコにより天草地方の“潜伏キリシタン遺跡”が世界遺産として認定されたが、その構成遺産の一つに同地区の棚田も含まれている。

 河内長野は、東の金剛山地と南の和泉山脈にはさまれ、市域全体が北西へ傾斜した地形となっている。そのため多くの棚田が造られてきたが、それらの棚田は、今もなお守られ活用されている。そして我々は、山間部に少し入ると美しい棚田に出逢うことができる。
 棚田は、秋の実りの景色も素晴らしいが、春の田植えを終えた後の景観もまた美しい。そこに人間のたゆまぬ努力や工夫を感じるからであろうか。棚田は人類が築いた偉大で美しい文化景観である。
 ところで景観は本来変化していくもので、棚田もまたもともとあった自然景観に手を加えて作り出されたものである。
 しかしホッテおくとすぐにもとの自然景観に戻り荒廃していくことは、棚田の現状を見れば容易に理解できるところである。
 かかる意味からも棚田は、我々が“守っていかなければならない貴重な文化景観”なのである。

(筆者注)
(上)中ノ谷の棚田
(中)惣代の棚田
(下)流谷の棚田と“はざ掛け”
                    R2・6・10  横山 豊