金剛寺の屋根付きの橋!! 【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

 河内長野に屋根付きの橋がある。
 屋根付き橋は、廊下橋とか、屋形橋、あるいは鞘橋(さやばし)とか蔀橋(しとみはし)、そして有蓋橋(ゆうがいばし)など、いろいろな言い方がされている。
 木製の橋は、架橋してから20年ほどしかもたないが、これに屋根を掛けると風雨を防ぎ橋が劣化しないので、その寿命は100年近くに伸びると考えられている。

屋根付きの橋

 日本には、屋根付きの橋が全国で62橋ほど存在しているようである。そのうち近畿地区では京都市に11橋、奈良県に2橋あるようであるが、大阪と滋賀、和歌山、兵庫の府県には残念ながら存在していないとのことである。(注:1) 
 しかし河内長野の金剛寺に屋根付きの橋・恵之橋が存在しているが、もし大阪府下で本当にこのような橋がほかに存在していないのであれば、この恵之橋は、府下で唯一の屋根付き橋として非常に貴重な歴史遺産と言えそうである。なお恵之橋のように計上モレした橋もあると考えられ、全国には屋根付きの橋は、まだまだ存在していると推察される。

 屋根付きの橋は、その目的により次のように分類できる。
まず第一は、神社の境内に架けられている“神社橋”である。
 第二は寺院の境内に掛けられた“寺院橋”で、金剛寺の恵之橋や京都・東福寺の通天橋などがこれにあたる。
 そして第三の屋根付きの橋は、城郭内に設けられた“城郭橋”である。
和歌山城西之丸庭園の御橋廊下がこれに当たる。城郭橋は廊下橋とか廓橋と呼ばれるが、橋を渡る所を見られたり矢玉より身を護るため目隠しの壁や腰板が設けられているところもある。
 そして忘れてはならないのが、第四の“生活橋”がある。
この橋は、周辺の住民が日常的に利用しており、しかも農道の一部として架けられている歩行者専用の橋であるが、このような橋は、愛媛県の南予地方に多い。

屋根付きの橋

  橋には、中央の反りが半円形になった太鼓橋があるが、これには住吉大社の橋をイメージすると判り易い。しかし中央の反りが弓状になっていて太鼓橋ほどの反りではない反り橋もある。
 また屋根の形も切妻屋根だけでなく入母屋屋根もあるし、唐破風をもったものもある。
 なお神社の境内に掛けられた屋根付きの橋には、祭事など特別な日にしか渡れない所もあるし、地域のシンボルになっている橋もある。
 なお橋に屋根があるかどうかは、これらの橋が寺社の境内のみに存在しているわけでもないことから推すと宗教的な意味は全くないようである。また農道に多くの生活橋が架けられていることから考えると橋の格式の高さや屋根があることが権威の象徴になっているわけでもないようである。橋に屋根を付けるのは、単に橋の耐用年数を延ばすためだけが、その目的だったと考えられる。

 “屋根付き橋”と思われる歴史上の初見は、『日本書記』推古20年(612)の項である。
  須弥山(すみのやま)の形及び呉橋(くれはし)を南庭(おほば)に構(つ)けと令(おほ)す。
 百済からの帰化人“路子工(みちこの たくみ)”に御所の庭に須弥山と“中国風の石橋”を作るように命じられた、との記述であるが、この橋は、一説には“欄干、屋根付き”の呉風の橋との見解もある。

屋根付きの橋

 天野山金剛寺の楼門の前を天野川が流れ、ここに恵之橋が架っている。この橋は天野山に祀られている丹生・高野明神や水分明神へ参る参拝橋(鎮守橋)で、切妻屋根を付けた反橋のようである。

享和元年(1801)7月 秋里籬島(あきさと りとう)が著した『河内名所圖會』巻之一に「天野山三神社」の挿絵が載っているが、楼門前の恵之橋には屋根が描かれていない。しかし嘉永6年(1853)、暁鐘成(あかつき かねなり)が著した『西国三十三所名所圖會』巻之四にも「天野山三神社」の挿絵が掲載されているが、そこには屋根が付いた恵之橋が描かれている。
 従って、恵之橋に屋根が付いたのは、19世紀初めからわずか50年ほどの間であったと考えられる。

 ちなみに、この橋の擬宝珠には、次のように刻まれていて、この橋の格式の高さを表しているようである。
  天野山 金剛寺 水分太明神 奉 内大臣 豊臣朝臣秀頼公 御再興
  釣命 御奉行 片桐東市正  慶長十年正月吉日
 (筆者注)片桐東市正:片桐(かたぎり)
      東市正(ひがしのいちのかみ)且元(かつもと)
      慶長十年 :1605年

 なお、現在の橋は、昭和16年(1941)1月に架けられたものであるが、屋根付き橋の寿命が約100年とすると、前回の架橋は約100年前の1850年頃と考えられる。
 そして、その時までは屋根のない木造の橋であったので、何回も何回も架け替えられてきたと推定され、擬宝珠もその都度、流用されて今日に至っていると思われる。
 いずれにしても、この橋は、秀頼のお墨付きの、さらに屋根付きの橋として歴史的にも貴重な文化遺産と言える。

(筆者注)
(注1)『土木史研究 第20号 2000年5月』による。
(上)恵之橋(正面、側面、内部)
(下)擬宝珠
                     R2・8・9  横山 豊