金剛寺の庭園① こんな風に楽しもう!! 【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

 幕末に来日した植物採集の専門家・プラントハンターたちは、町中に多くの花が咲き乱れているのを見て日本は“庭園都市(ガーデンアイランド)”だと驚いたようである。花壇こそ西洋庭園の最も大きな要素だったからである。

 しかし市中だけでなく京都などでは、多くの寺院でも名庭に出逢える。昨年、久しぶりに京都の竜安寺で石庭を見たが、鑑賞している人の7割近くは外国人のようであった。京都には多くの庭園が存在していて、京都こそ正に庭園都市である。また東京に住んでいた頃、“大名庭園”は全て見て廻ったが、懐かしい思い出である。京都や東京だけでなく、我が国では昔から全国各地に素晴らしい庭園が造られてきた。

 ところで康平6年(1063)頃、橘俊綱が著した日本最古の造園秘伝書『作庭記』には、庭造りの基本は石を組み景を造ること、自然の景を造ること、と記されている。これからも判るように我が国では造園書が著されるほど古くから庭造りが盛んに行われてきた。

 日本の庭園は、植栽と水、そして石で構成されている。
 古代の日本人は、この“水と石と樹木”に神が宿ると信じていた。神聖な石・磐座(いわくら)が祀られているところは“磐境(いわさか)”とよばれ、また松や杉の木は神が降りてくる聖なる木と考えられてきた。そして水は、深山幽谷に発し滝となり、里へと流れて海へと注ぐが、庭園での池泉は、この大海を表している。水は変化自在の“柔”を、そして石は組み合わされて永遠不滅の“剛”を表し、松の木に代表される梅や桜、サツキなどの植栽は季節を楽しむ存在でもあった。

 庭は、限られた空間にこれらの構成要素を配し、いろいろなテーマが創り出されている。そして創り出された自然を鑑賞するために池の周りを回遊する“池泉回遊式”庭園や建物の中から庭を楽しむ“池泉鑑賞式”、あるいは池泉は構築されていないが庭全体を楽しむ“鑑賞式”庭園がある。
 そして燈籠や手水鉢、飛び石などの景物(けいぶつ)や様々に組み合わされて構築された橋が我々を楽しませてくれる。

 ところで神仙思想では、大海中に仙人が住む蓬莱島があり、そこには不老不死の仙薬があると信じられ、その仙薬を得たい、持って帰りたいと人々は願った。この思想は、日本庭園にも取り入れられ蓬莱島に見立てられた島が造られ、長寿の代表として“鶴島”や“亀島”が構築された。しかもこの蓬莱島は自ら渡るべき存在と考え“舟石”などが置かれた。さらに江戸時代に入ると、諸大名は池泉回遊式の庭を造ったが、それらの大名庭園では、子孫繁栄を願って“陰陽石”も配された。

(筆者注)
(上)慶沢園
(中)竜安寺 石庭
(下)舟石(観心寺)
                    R2・9・6  横山 豊

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