河内長野の金剛寺に素晴らしい庭園がある。
金剛寺の庭園は、室町時代に作庭されたようであるが、その後阿波の蜂須賀家政公(小六正勝の子)が手直しし、それを江戸時代になって雪舟流家元の庭師・谷千柳(たにせんりゅう)が造り変えたとのことである。
そしてこの庭は、草行山水(そうぎょうさんすい)自然流と呼ばれる庭だそうであるが、残念ながら筆者はこの谷千柳も草行山水自然流のいずれも知らない。
庭は青々とした杉苔で一面に覆われ、初夏はサツキ、秋には紅葉が楽しめる庭園であるが、“池泉”もないし、“回遊”もできない。庭は回廊と奥殿や大玄関、そして本坊の縁側で取り囲まれ、そこを廻りながら鑑賞するようであるが、回廊の途中には東屋(あずまや)のように休憩所も設けられている。ところでこの庭に池泉が構築されなかったのは、池泉を構築するほどの水が得られなかったことに起因していると考えられる。
庭園にはテーマが隠されていることが多いが、この庭でも同じである。
まず第一は、自らの不老長寿を願って蓬莱の島に仙薬を採りに行きたいとの願いが込められている。そのため回廊の鉄鉢形手水鉢の右に柘植の“入船出船”の刈込が見られる。蓬莱に行くには舟石が設けられることが多いが、ここでは我々はこの船に乗って対岸の蓬莱へ向かうことになる。
次に、この幸せがいつまでも続くようにと長寿の象徴・鶴亀の島が配されている。その鶴島には樹齢600年と伝わる五葉松が茂る。そして亀島は、“入船出船”のすぐそばにある。
なお日本庭園を代表する松は、神が天上から降臨する時の依代(よりしろ)で、この五葉松のところに神を招き、神はここに降りてくる。
さらに大名庭園では、子孫繁栄を願って陰陽石が配されるが、当寺は妻帯禁止。いくら日本遺産の“女人高野”であっても作庭当寺は、ご法度。
そこで五葉の松で男性を、そして瓢箪形の枯れ池が女性を表しているのではないか、と想像力たくましく、しかも独断と偏見もって推察している。当寺ではこの陰陽物によって五穀豊穣を祈ったのではないかとも想像する。
なお瓢箪は、邪気を払う力が宿るとされ、除災招福のお守りや魔除け、さらにたくさんの実が付くことから子孫繁栄のシンボルと考えられているようで、瓢箪とはまさに女性を表しているのである。
さらに景物としてナツメ形の手水鉢と石燈籠、さらに“枯れ滝”がこの庭に赴きを与えている。
このように筆者は勝手に、しかも好き放題の解釈をしてこの庭を楽しんでいる。そしてこれが筆者の庭園の鑑賞法であるが、庭を楽しむのにルールなどない。個人個人が好きなように庭園を鑑賞すれば良いと考えている。
ところで金剛寺の庭園は、数百年の歴史があるようであるが、未だに大阪府や河内長野市の文化財に指定されていない。なぜであろうか。
(筆者注)
(上)(左・中)全景
(上)(右)入船出船
(中)(左)亀島
(中)(中)鶴島五葉松
(中)(右)枯れ滝
(下)(左)手水鉢(ナツメ形・鉄鉢形)
(下)(右)瓢箪池
R2・9・6 横山 豊