大化の孝徳から平成まで天皇号は、97ある。
このうち京都周辺の地名の付いた天皇号が49、これに対し道徳的なしかも難しい文字、例えば孝、仁、智、武、徳、聖、文などが付いた天皇号は48とほぼ同数である。
それらの内、遣唐使の廃止前が21、廃止後はわずかに27しかないが、いったん廃止されると国風の、しかも京都周辺の地名が付いた天皇号が増え、かつそれが800年にも渡り続いてきた。
ここで京都周辺の地名が付いた天皇号をみると、嵯峨、後嵯峨、後深草、醍醐、後醍醐、朱雀、後朱雀、冷泉、後冷泉、一条、後一条、二条、後二条、三条、後三条、四条、六条、白河、後白河、堀川、後堀川、鳥羽、後鳥羽、土御門、後土御門、中御門、高倉、伏見、後伏見、花園、後花園、東山等など、挙げたらキリがない。
このように平安から江戸中期までの長きにわたり京都周辺の地名を付けることが天皇号の伝統であった。
このような日本の伝統的な天皇号の付け方を尊重すると、現在の天皇号は東京周辺の地名を付けることになり、秋葉原天皇や新宿天皇、あるいは川崎天皇や吉原天皇、そしてまた武蔵野天皇や八重洲天皇が、あるいはまた後楽園天皇や幕張天皇がいてもおかしくない。これが800年間も続いた天皇号の伝統であるから。
しかし明治になって“一世一元の制”が決められたことにより、日本の伝統は破壊され、そして昭和54年(1979)に施行された元号選定の基準を示した元号法では、“俗用されていないこと”として地名などは、選定してはいけないことになってしまった。
そのため京都周辺の地名を名乗った天皇号と吉兆や縁起や災害などによって改元してきた和暦の伝統的、かつ基本的な考え方が崩壊した。
なお京都の公家も諸国の武家も自ら住まう地を名字として名乗ってきた。
それでは本題に戻ろう。
すでに使われているが、私が良いと考えている元号には、次のものがある。
“安”の付く元号は、安永、安和、久安、弘安、正安、承安、天安、
“和”の付く元号は、永和、弘和、昭和、正和、天和(てんな)、明和、
おめでたい“慶”が付く元号は、慶長、慶安、延慶や延喜などがあるが、いずれも“安”、“和”、“慶”が基本である。
ところで私が新元号を考えようとするのは、元号はあっても良いと考えるからである。
日本では古代より“元号”と“干支”とを組み合わせて年代を表示してきた。例えば、「明治元年戊辰」「大正13年甲子」がそれである。
しかしながら現在では、西暦を使うことが多く、カレンダーや手帳などでは、西暦のみが表示されたものもある。
私は従来から日本の伝統的な表示法に基づいて、“平成31年(2019)”と和暦(元号)と西暦とを組み合わせて表示するようにしている。そして歴史的な年代を表示する時も全く同様である。現在では、西暦を使う人が圧倒的に多いかも知れないが、何となく昔からの習慣でこのように表示している。
元号が数年や数百年しか使われてこなければ、元号など不要と考えるが、約1400年(645~2019)の長きにわたり、いろいろな“願い”や“思い”が込められてきた元号である。ここで年代表示を西暦だけとするのも寂しい。
外国との関わりがある経済活動や外交には“西暦”を、そして歴史や文化に関するものは“元号”を、とそれぞれの役割を分担して使っていくのも良いかもしれない。そして私は、そのよう使い方も一つの案と考える。
元号にどんな“思い”、“願い”を託するのか。
平成は地震を始めとして自然災害や原発事故のような人災もあった。経済は低迷し、戦争の危機もいまだ絶えず、平和にほど遠い時代である。
ところが戦後の昭和30年代は、皆が貧しかった。
しかし貧しさは恥ではなかった。今日よりも明日は、必ずもっといい日が来ると信じていた。皆が一生懸命働いていた時代でもあった。
仮に“一世一元の制”が無ければ、昭和20年は“平和元年”になっていたであろうし、平成6年は淡路・神戸を大地震が襲ったので、元号は身の安心を込めて“安久元年”でもよかったと思う。さらに平成23年の東北大震災では“安永”や“安栄”も魅力的な元号となったと考える。
そして今、昭和30年代に比べると生活はかなり向上した。しかし相変わらず自然災害の恐怖の中で生活をしているし、周辺諸国との間でもキナ臭い時代になり、戦争の危険さえある。
このような状況でも、我々日本人は、戦後初めて国家の命令によって“人を殺したり、殺されたりする”ことのない時代を迎えた。日本の長い歴史でそのような時代は、戦後の日本でしか実現しなかった。
元号には新しい時代の“理想”や“国家のあるべき姿”が反映されなくてはならない。
このような考えのもと、元号に使いたい文字をまず決めたい。
(1)生命の安心、災害からの安全の願いを込めて安心の“安”で、“安”が“久”しく“永く”続くことを願い“安久”、“安永”、“永安”、“安始”、“平安”など。
そしてまた“安”がますます“栄える”ことを願い“安栄”あるいは“栄安”あるいはまた“安”心が世の中を“明”るく照らし“安明”もある。
なお“安永”は江戸後期の1772~81年まで使われていたので、新元号としては不可であるが・・・。
(2)次に“平和”が長く続くようにと“和”の付いた元号として、ずばり“平和”や“和平”、“永和”、“和永”、“真和”もある。
ただここでも“永和”は、南北朝時代の北朝暦で1375年~78年まで使われていた。なお現政権は、平和を求めるより戦争を好むようなので、この“平”や“和”が付く元号を選択することはないであろう。
(3)さらにまた明るい時代が来るようにとの願いから“明”が入った元号を考えてみると、“安明”や“光明(こうめい・こうみょう)、そして明るく開けた時代”開明“さらに明るく清い時代の到来を祈念して“明清(めいせい)”あるいはまた“清明”があるが、アルファベットではいずれも“M”や“S”となるのでこれも不可となるが・・・。
そこで、M、T、S、Hを除いた元号案は、次の10になる。
(A)⇒“安久”、“安栄”、“安始”、“安明”、(E)⇒“永安”、“栄安”、
(K)⇒“光明”、”開明“(W)⇒“和平”、“和永”。
筆者は、戦後社会を評価する。
日本の長い歴史、縄文時代から2万年近く、日本人は初めて国家命令によって“人を殺し、殺される”ことがない社会を実現した。日本人は、戦後初めて“安全”を手に入れた。
従って、私は、来るべき時代の元号は、“安始”か、“安久” にしたい。
なお“安”と“始”は、小学校3年生で、そして“久”は、5年生で習う漢字である。
いずれにしても国民の意思、希望が聞かれることもなく、新元号は、平成31年4月1日に発表される。(完)
奥河内の閑適庵隠居 横山 豊
平成31(2019)・3・21投稿)
(筆者注)
(上)松林寺(河内長野市)梵鐘
(中)松林寺(河内長野市)飛天
(下)野作 薬師寺(河内長野市)鰐口