国や府県、あるいは市町村を代表するものがある。
旗や歌、そして花や木、鳥などがそれであるが、“日出ずる国”や“扶桑”、あるいは河内長野市のように“奥河内”など別称に近いものも、その地域を代表するものと言えそうである。
ところで日本では、国の花が“桜と菊”、そして鳥が“雉(きじ)”、国樹(こくじゅ)が“桜”で、魚が“錦鯉”、そして蝶が“オオムラサキ”、さらにさらに国石(こくせき)が“ヒスイ”だそうであるが、ヒスイが国石になったのは、平成28年の投票で選ばれてからとのことである。
それでは大阪府ではどうか。
大阪府では、花は梅とサクラソウ、木はイチョウ、そして鳥は百舌鳥。
また堺市では、木は柳、花木はツツジ、花は花菖蒲、そし鳥は当然のことながら百舌鳥である。そして近隣の橋本市では、花はさつき、木はモクセイと桜である。
では我らが河内長野では、どうか。
昭和44年に、花は“菊”、木は“クスノキ”を選んでいるが、鳥は未だ選定されていない。なおこの菊とクスノキは、いずれも楠木正成に因んでの選定と思われるが、市を代表する市の花、木にもかかわらず、菊もクスノキも、市内ではほとんど見られない。なぜ市民が日常、目にしない花樹を選んだのであろうか。大いに問題である。市民に親しまれているからこそ市の花、市の木でなくてはならないはずだが・・・。
我々が日常、目にする樹木は、桜や紅葉、そして杉や檜(ヒノキ)である。あるいは流谷の八幡神社には大阪府一の巨木と言われるイチョウの大木があるし、当市の保護樹木は、盛松寺や長野神社のイチョウ。そして寺ヶ池の遊歩道ではイチョウ並木が見られる。
しかし楠公さんとゆかりの深いはずの観心寺には、杉やヒノキばかりでクスノキはない。また菊もどこで見られるのであろうか。金剛寺から西に少し行った所では、毎年秋、盛大に菊花展が開かれるが、そこは河内長野ではない。菊を市の花に選んでも、それは市内のどこでも見られない花である。
ここで一度立ち止まり、市の花や木を選び直すのも一つの考えではないだろうか。例えば紅葉。延命寺や観心寺、金剛寺では秋になると素晴らしい紅葉が楽しめる。そして多くの観光客が紅葉狩りで当市を訪れている。特に延命寺地区は、“奥河内もみじ公園”と名付けられるほどの名所である。
また市域の7割は、杉やヒノキの美林が広がっているが、将来、これらが観光資源になっていくかもしれない。このように市を代表する木は、杉やヒノキ、紅葉やイチョウであって、決してクスノキではない。
また春には、流谷の蝋梅(ローバイ)や山茱萸(サンンシュユ)が、あるいは観心寺では梅が、そして廃線道では八重桜やツツジ、紫陽花が我々を待っている。特に河合寺地区は“奥河内アジサイ公園”と位置付けられ、長野公園と共に多くの紫陽花が鑑賞できる。さらにこの長野公園は“奥河内さくら公園”とも呼ばれるサクラの名所でもある。このように市内には、桜やツツジ、紫陽花、あるいは蝋梅や山茱萸など花にあふれている。にもかかわらず市内のどこを探しても見られない菊を市の花などに選ばず、もっと実態を認識し地に足の着いた選定をやり直すべきと考える。
ところで市の花や木はこのような状況であるが、“市の鳥”は未だ選ばれていない。しかし選定のヒントになる故事がある。
『続日本紀』文武3年三月甲子九日の条に、次の記述がある。
三月甲子九日、河内国、白鳩(しろはと)を献る。詔したまはく、「錦部 (にしこり)郡の一年の租役(そやく)を免(ゆる)せ」とのたま ふ。また、瑞(しるし)を獲(え)たる人、犬養広麻呂(いぬかひのひろまろ)が戸(へ)に、復(ふく)三年を給(たま)ふ。また畿内の徒罪(づざい)巳下を赦(ゆる)す。
要約すると、
文武3年(699)3月、河内国から白鳩が献上されたので詔が出され、錦部郡の1年間の田租と役を免除し、また祥瑞の象徴・白鳩を捕えた犬養広麻呂の戸に復3年を給し、さらに畿内の徒以下の罪を赦免した、と。
このことから川上神社周辺は、“鳩原(はとのはら)”と呼ばれるようになったという地名由来が伝承されている。なお鳩は、八幡神社の神使(しんし)で、特に烏帽子形八幡神社の御朱印には向鳩(むかいばと)が描かれた印が捺される。
かかる理由で筆者は、河内長野の象徴(花鳥木)を次のように選定したい。
花は、紫陽花、花木はサクラ、木はモミジ、そして市の鳥は
“白鳩”。
ところで私の友人に筆名を“楠菊亭白鳩(なんぎくてい はっきゅう)”と号している人がいる。“楠”と“菊“は、河内長野市の“木と花”に由来していることは判るが、白鳩は何か。
ご本人曰く、“白鳩”は、ご本人の給料が薄給だったことをモジったとのことである。そうなると我もまた薄給なり。ペンネームは、薄給とも名乗れないので、“白球”にでもするか。なお白球には、小はパチンコ玉から大はバスケットボールまであるが、どの白球にしようか、悩んでしまう。
(筆者注)
(上)川上神社
(中)“楠と菊”の表示(長野駅前バス停)
(下)鳩原の由来看板
R2・8・19 横山 豊