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日本では古代より幾多の“戦い”があったが、それらの“戦い”はその規模、地域、内容などによってその呼称がそれぞれ異なる。 “乱”と“変”と“役
天誅組の行動には疑問がある。京から五條へのルートの取り方が不可解である。 まず行軍ルートの日程と距離であるが、実際は行軍していないが「京⇒五
天誅組の“政治的立場・思想“について、二つの見解がある。 一つは“尊王攘夷派”、もう一つは“尊王討幕派”であるが、天誅組とは何かを考える時、
松林寺横の春日神社に無患子(むくろじ)の樹がある。 この樹の種子は羽根つきの羽根の玉に使われるが、また数珠の珠としても活用されてきた。
千社詣(せんじゃもうで)と言われる習俗がある。 願い事が叶うように数多くの社寺を巡拝し、お参りした社寺にその証として参拝者が手書きのお札を納
河内長野市には、槙尾山施福寺から金剛寺を経て葛井寺に至る巡礼道が走っており、かっては多くの巡礼者がこの道を行き交ったことであろう。 西国三十
空海が泉州槇尾山(まきのおさん)で修行していた時、長野の諸越長者(もろこし ちょうじゃ)の家に泊まらせてもらっていたが、空海は、そのお礼に空
主郭をあとに、登って来た道を下る。 目印のテープが効いている。道に迷うこともない。しばらくルンルン気分で下るが、途中で目印が消え、道は何処?
この小山が主郭である。 前回の調査では、この主郭の上部は土塁、そして主郭と曲輪との間には、堀切が構築されていたようであるが、この遺構ははっき