奥河内 河内長野のあれこれ。

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高向玄理(下)“大志を抱いて決死の渡海、望郷の人たち!!”

高向玄理(下)“大志を抱いて決死の渡海、望郷の人たち!!”

遣隋使や遣唐使として多くの若者が海を渡った。 遣隋使は、聖徳太子が隋に派遣した使節で、第1回は推古15年(607)、小野妹子を正史に対等外交

高向玄理(中)“その人物像は!!”

高向玄理(中)“その人物像は!!”

高向漢人玄理(たかむこのあやひとくろまろ)、あるいは高向漢人玄理(たかむくのあやひとげんり)は、『日本書記』にたびたび登場する。 推古16年

高向玄理(上)“古代国家をデザインした男!!”

高向玄理(上)“古代国家をデザインした男!!”

日本の古代国家のデザインをした男がいる。名を高向玄理(たかむこのくろまろ)と言う。 乙巳の変(いっしのへん)で、蘇我氏を滅亡させた中大兄皇子

数珠の珠数が足りない!!  

数珠の珠数が足りない!!  

 松林寺横の春日神社に無患子(むくろじ)の樹がある。 この樹の種子は羽根つきの羽根の玉に使われるが、また数珠の珠としても活用されてきた。  

奥河内の名刹 千社札はどうなる??  

奥河内の名刹 千社札はどうなる??  

千社詣(せんじゃもうで)と言われる習俗がある。 願い事が叶うように数多くの社寺を巡拝し、お参りした社寺にその証として参拝者が手書きのお札を納

真の同行二人とは ??  

真の同行二人とは ??  

河内長野市には、槙尾山施福寺から金剛寺を経て葛井寺に至る巡礼道が走っており、かっては多くの巡礼者がこの道を行き交ったことであろう。 西国三十

月の光を受けて、萩 奥河内の月輪寺で風と戯れる!!(上)

月の光を受けて、萩 奥河内の月輪寺で風と戯れる!!(上)

空海が泉州槇尾山(まきのおさん)で修行していた時、長野の諸越長者(もろこし ちょうじゃ)の家に泊まらせてもらっていたが、空海は、そのお礼に空

奥河内 石仏城 探検記(その5)

奥河内 石仏城 探検記(その5)

主郭をあとに、登って来た道を下る。 目印のテープが効いている。道に迷うこともない。しばらくルンルン気分で下るが、途中で目印が消え、道は何処?

奥河内 石仏城 探検記(その4)

奥河内 石仏城 探検記(その4)

この小山が主郭である。 前回の調査では、この主郭の上部は土塁、そして主郭と曲輪との間には、堀切が構築されていたようであるが、この遺構ははっき

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