数珠の珠数が足りない!!
松林寺横の春日神社に無患子(むくろじ)の樹がある。 この樹の種子は羽根つきの羽根の玉に使われるが、また数珠の珠としても活用されてきた。 数珠はもともと古代インドの神官・バラモンが持っていた法具と言わ …
河内長野の習俗あれこれ。奥河内 河内長野のあれこれ 何にでも関心があり、突っ込みたがる関西人のブログです。河内長野の魅力、歴史散歩、習俗あれこれ、奥河内 河内長野にまつわるあんな人・こんな人・スゴイ人について。奥河内 河内長野の花・樹木や神仏見楽記など。
松林寺横の春日神社に無患子(むくろじ)の樹がある。 この樹の種子は羽根つきの羽根の玉に使われるが、また数珠の珠としても活用されてきた。 数珠はもともと古代インドの神官・バラモンが持っていた法具と言わ …
千社詣(せんじゃもうで)と言われる習俗がある。 願い事が叶うように数多くの社寺を巡拝し、お参りした社寺にその証として参拝者が手書きのお札を納めていく。 そのお札は千社札(せんじゃふだ)と呼ばれている。 …
河内長野市には、槙尾山施福寺から金剛寺を経て葛井寺に至る巡礼道が走っており、かっては多くの巡礼者がこの道を行き交ったことであろう。 西国三十三ヶ所の巡礼や四国八十八ヶ所の霊場を巡るお遍路さんたちは、菅 …
聖なる数字がある。 これは、あらゆる民族や宗教に存在するが、日本では、仏教の教えや神道の神事あるいは民衆の伝統行事などから生まれてきた。 西国三十三箇所の観音巡礼や四国八十八箇所のお遍路、あるいは十三 …
「酒肉、山門に入るを許さず」と厳しい戒めを掲げている市内の寺院は、松林寺と地蔵寺(清水)と延命寺の三ヶ寺である。松林寺では「不許酒肉五辛入界内」と、また地蔵寺と延命寺では「不許葷辛酒肉入于界内」と門前 …
南海・天見駅前の天見川と流谷川(ながれだにかわ)の合流地・出合の辻(であいのつじ)から流谷に入ると、視界が大きく開け、美しい渓谷が続く。この渓谷、昔は「そそぐ谷」と呼ばれていたようである。 毎年1月6 …
人は春を待つ。だからこそ厳しい冬が越せるのである。しかし春はためらいながら近づいてくる。その春の訪れを知らせてくれる花が桜である。 そして我々は桜前線の上昇や各地の開花状況によってその春を実感している …
関西に「十三参り」の習俗がある。 旧暦の三月十三日、数えで十三歳の子供に虚空蔵菩薩から「智恵と福徳」を授かろうと、この仏様にお参りする行事である。そのためこのお参りは「智恵もらい」とか「智恵参り」など …
町で大きな御腹を抱えた妊産婦さんに出会ったが、この人こそ家族や周りの人たちに笑顔と幸せをもたらす布袋さまだと思った。 布袋さまは、弥勒菩薩の化身と言われ、七福神の一人である。 七福神には、日本生まれの …
安土桃山時代、河内長野市は、キリシタンの町であった。 当時来日していたキリシタン宣教師は、「烏帽子形(河内長野市喜多町)と称する他の城がある。この城と周囲に在る多数の村は、三人の領主の治る所であるが、 …
日本語は、しばしば短く表現される。 「すみません」が「スマン」に、「ごめんなさい」が「ゴメン」に、そして大阪では「どないしました」が「どない?」に、さらに「どーッ??」と極端に短くして話されている。 …
河内長野市の松林寺や延命寺、あるいは観心寺や興禅寺などにシナノキ科 の菩提樹(ぼだいじゅ)が植わっている。 この木は仏教での聖木であるが、世界にはこのように、その宗教を代表する「聖なる草木」がある。 …
「愛してたと誘ひ込み、も寝る?」 オジサンにとって、青春が甦ってきたかと錯覚するようなスリリングな言葉。 パソコンでローマ字入力をしていると、この言葉を聞いてもピントこないが、日本語入力の人は、キーボ …
最近のニュース番組を観ていてつくづく思うことは、評論家やジャーナリストたちのレベルの低さである。そしてそのコメントにウンザリする。 彼らは、今回の東日本大震災での日本人の行動を「我慢強い」の一言で表現 …
千早口から東に少し行くと塞の神が祀られている。 この神さまは子沢山で貧しかったと言われ、毎年10月、出雲に帰るにもその衣装にすら事欠いていた。そこで藁に火を付けて家が焼けたように装い、出雲に帰れないと …
縁日は、子供の頃の懐かしい思い出に繋がる。 縁日とは、神仏に「縁のある日」の意で、数字やそこにゆかりのある干支などでその特別の日が決まっている。薬師さんは八日、虚空蔵菩薩は十三日、そして妙見さんは十五 …