河内長野市には、槙尾山施福寺から金剛寺を経て葛井寺に至る巡礼道が走っており、かっては多くの巡礼者がこの道を行き交ったことであろう。
西国三十三ヶ所の巡礼や四国八十八ヶ所の霊場を巡るお遍路さんたちは、菅笠や笈摺などに同行二人(どうぎょうににん)と書いている。弘法大師と同行の意である。
例え一人で巡っていても、何時もお大師様と一緒に歩いている。そばに付いていてくれる、見守っていてくれるとの思いが胸にある。だからこそ厳しい山道でも寂しい道でも歩かせたのである。ここには、弘法大師・空海への限りない信頼がみえる。
また数人で歩んでいても「私とお大師様」との関係であるから、やはり同行二人なのである。
同行二人には、巡礼やお遍路さんだけでなく、自分の人生と共に歩んでくれる人がいることの重要性を示しているように感じられる。それはお大師さまでも観音さまでもお釈迦さまでも良い。
要は自分の心の支えとなってくれる人であれば誰でも良い。
そして今、自分の人生の同行二人のもう一人は、弘法大師ではなく、女房だったかもしれないと思っている。「酒、煙草に賭け事」などの誘惑や「女性」などの危険から筆者を遠ざけ、人生をまともな方向に導いてくれたのは、お大師様ではない。女房であった。そう、筆者の人生の「同行二人」は女房だった。今やっとそれに気が付いた。
(野寄史郎)