まちじゅう文化財がぎょうさん!! tant ある河内長野(その2)
文化「財」には、名勝や天然記念物が含まれるが、文化「遺産」には、天然記念物などは含まれない。また国指定の「史跡」は、国宝や重文とは別のものである。 大阪府内で「国の史跡」に指定されている城跡は、五城あ …
河内長野の魅力。奥河内 河内長野のあれこれ 何にでも関心があり、突っ込みたがる関西人のブログです。河内長野の魅力、歴史散歩、習俗あれこれ、奥河内 河内長野にまつわるあんな人・こんな人・スゴイ人について。奥河内 河内長野の花・樹木や神仏見楽記など。
文化「財」には、名勝や天然記念物が含まれるが、文化「遺産」には、天然記念物などは含まれない。また国指定の「史跡」は、国宝や重文とは別のものである。 大阪府内で「国の史跡」に指定されている城跡は、五城あ …
河内長野は、なんと言っても文化財の多い町である。 しかしここよりももっと多い町は幾らでもある。従って、こんなことを言うと、少しぐらい多いといって自慢するな。頭が高い!! と御叱りを受けそうである。 そ …
南海・美加の台駅から東の住宅地に歩を進めると興禅寺(こうぜんじ)がある。 この寺は奈良時代の僧・行基(ぎょうき)が当山に泊まった時に阿弥陀如来像を祀ったのがその始まりと伝え、現在、河内長野市内唯一の曹 …
日本の歴史は、何時も河内長野から始まった。 古くは大化の改新。この時活躍したのが当地出身の高向玄理(たかむこのくろまろ)である。玄理は推古16年(608)遣隋使として隋に留学、欽明12年(640)帰国 …
奥河内の秘境・滝畑に「滝畑湖」があるが、ここは通常「滝畑ダム」と呼ばれている。 しかし眼前に広がる景色は、湖そのもの、ここは「ダム」ではなく「湖」、「滝畑湖」である。 ダムは、川を堰き止めるための建造 …
西高野街道は、河内長野駅前から三日市町に走っている。 この街道沿いに烏帽子形八幡神社がある。 そこから少し行くと、喜多平野地蔵堂が建つ。ここは地蔵の辻と言われ、西高野街道はここで和泉道(大津道)を分岐 …
河内の国は、古来より歴史の舞台に数多く登場してきたが、現在の行政区分では、次のように分類分類されている。 北河内は、枚方、交野、寝屋川、守口、門真、四条畷、大東の7市。 中河内は、東大阪、八尾、柏原の …
二月は、鬼の季節である。 その鬼と密接に関係するものに、鬼門(きもん)と呼ばれる方位がある。 鬼門とは、陰陽道(おんみょうどう)では、邪悪な鬼が出入りし、万事に忌み嫌われる方角のことを言い、丑寅(うし …
四神相応(しじんそうおう)の地と呼ばれる所がある。その代表が京や江戸の町である。 四神相応の地とは、四神が住まうにふさわしく、地理的にもその景観が優れた所を言い、東に川(青龍)が流れ、西に大道(白虎) …
秋になると多くの神社で氏子によるだんじりの曳行が行われる。 神輿(みこし)やだんじりは、氏神の神霊の乗り物で、氏子はそれらに神霊を乗せて自分たちの住む地域を曳行し、神霊の祝福を受けた。そしてこの神霊が …
楠木正成の旗印に『非理法権天』がある。 『非理法権天(ひりほうけんてん)』とは、「非道は道理に克たず、道理は法律に克たず、法律は権力に克たず、権力は天道に克たず、天に克ものなし。天命、天道に従って生き …
10年近くも昔のことであるが、「中世の十字路・星に守られた町・河内長野」というようなテーマの講演があった。この時まで「星に守られた町」の意味を全く理解していなかったが、講演が終わって、初めてこの意味を …
さざれ石は、「細石」と記され「小さい石」の意であるが、炭酸カルシウム(石灰石)が接着剤の役目を果たし、小石どうしがくっ付いて一つの大きな岩の塊となったものである。 大きな岩が砕けて小さな石となり、川を …
河内長野市には、昔よりあらゆる階層の人々が住まいし、その名を留めた。 古くは、国博士にして、今は市民大学「くろまろ塾」にその名を残す高向玄理。僧侶では、岩湧山で修行した修験道の開祖・役行者や観心寺を開 …