星に守られた町・河内長野

観心寺星塚10年近くも昔のことであるが、「中世の十字路・星に守られた町・河内長野」というようなテーマの講演があった。この時まで「星に守られた町」の意味を全く理解していなかったが、講演が終わって、初めてこの意味を知った。
星塚は、観心寺の金堂を守っているが、この塚は、観心寺のみならず、当市全体を守っていると拡大解釈し、当市を「星に守られた町」と名付けたのである。なるほど上手く名付けたものと関心した。
観心寺星塚大阪の三妙見(能勢、上神谷、星田)のうち、星田の妙見宮と当寺の星塚は、空海が祈願して七曜の星(北斗七星)が降臨したとの伝説がある。その星田の星石は、磐座(いわくら)であるが、当寺の星塚も、規模はかなり小さいが磐座か、あるいは単なる結界石か、さらに観心寺では、金堂が北辰で、星塚が北斗七星を意味しているのであろうか。   思いは巡ってもこれと言った結論も答えも巧く引き出せないが、あれこれ想像し思いを巡らすことが、汲めども尽きない歴史の面白さである。
観心寺星塚
「歴史は記憶する学問ではない。想像し推理する学問」と筆者は考えている。そしてこれこそ歴史を学ぶ醍醐味であると感じる。

 (横山 豊)