四天王寺の伽藍配置は、一般的に「四天王寺式」と言われ、南大門・中門・塔・金堂・講堂が南から北へ一直線に並んでいる。
瀬戸内を西から航行し、浪速津に上陸した当時の人々は、上町台地の上に一直線に並ぶ巨大寺院・建造物を見たことであろう。その時の視覚的、心理的な驚きの効果を狙ったものが、この伽藍配置と考えられる。
従って、四天王寺式の伽藍配置が意味するものは、日本には、これだけの建築物を建立できる技術と財力を持っていることを内外に誇示するためのものであったと推察する。
法隆寺式や薬師寺式では、伽藍が並列に並び、横から見ると視覚的に劣る。しかし、この四天王寺式は周囲を威圧し、権力を誇示するには最適の伽藍配置である。
それでもなお、疑問が残る。
明日香の中宮寺や橘寺など同時代に内陸部に建立された寺院は、この四天王寺式の配置であり、仏教の伝来初期には、当寺だけに見られる特殊な伽藍配置ではない。むしろ、この配置は、当時の流行とか、時代様式と見るべきなのかも知れない。
しかしながら、立地や配置など、四天王寺こそ「見栄を張った伽藍配置」と見るのは、穿った考え方であろうか。
(永峯 藤太)