我が国での“戦い”をまとめると、次のようになる。
戦闘の区分 | 特 徴 | 具 体 例 |
戦い 合戦 |
局地的な戦い、戦闘 敵対する勢力対勢力の直接の戦い |
千早・赤坂の戦い、湊川の戦い 川中島の戦い、桶狭間の戦い 関ヶ原の戦い、石山合戦 |
陣 | 局地的な戦い、権力者の傘下も参戦する | 大坂夏の陣 |
役 ・ 戦争 | 対外戦、外国勢との戦い、 辺境地域での戦い |
文永・弘安の役、文禄・慶長の役 前九年の役・後三年の役 |
乱 | 分裂した政治権力者同志が起こす内乱、 全国規模の騒乱、長期に渡る戦乱 |
応仁・文明の乱 |
時の権力者への武力による反乱 成功すると体制が変わる、体制の変革が起こる |
承平・天慶の乱 大塩平八郎の乱、由比正雪の乱 (天誅組の乱・大和の乱) |
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変 | 時の権力者への武力による反乱、 支配者層内に起こった権力闘争、 短期で終結する突発的な事件 体制の変化、変革に繋がらない反乱事件 |
乙巳の変 本能寺の変 桜田門外の変 |
一揆 | 支配者の悪政に対する集団的抗議活動 | |
土一揆 ・・・徳政(借金免除)を要求 | 正長の徳政一揆 | |
国一揆 ・・・在地武士の領主権の奪取 | 山城の国一揆 | |
一向一揆・・・門徒の自治のための挙兵 | 加賀の一向一揆、石山合戦 | |
百姓一揆・・・年貢の減免要求 | 島原の乱、 |
次に日本での“戦いの呼称”は、次の4つに分類される。
まず第一は、“戦闘の行われた地名”が付いているもの
・・・桶狭間の戦い、本能寺の変、関ヶ原の戦いなど。
第二は、戦いが勃発した時の“元号”を付けているもの
・・・承平・天慶の乱、応仁・文明の乱、文永・弘安の役など。
第三は、反乱などを起こした“首謀者の名前”が付いたもの
・・・大塩平八郎の乱、由比正雪の乱など。
そして第四は、首謀者たちの“政治的主張”を事件の名に記したもの・・・天誅組の乱など。
このように“戦闘地域”や“元号”あるいは、“首謀者の名前”が付いた戦いは多いが、政治的主張をした事件は、なぜか少ない。おそらく天誅組の乱だけかも知れない。
ところで良く解らないのがこの“天誅組の変”である。
いくら五條という限られた“地域”で起こった事件であっても“五條の戦”でもなければ“五條の合戦”でもないし、“五條の陣”でもない。いわんや“五條の一揆”や“五條の役”でもない。するとやはり“五條の乱”か、“五條の変”となる。
しかしながら天誅組は“新政府”とか“皇軍御先鋒”とか名乗り、また隊士が自らの集団を“天忠組”と称し、あるいはまた“天誅ノ二字ヲ合言葉卜定メ”ていたようなので、やはり“天誅組の変”とか“天誅組の乱”とか呼ぶのが正しいようである。
この天誅組の変は、時の政治権力者である幕府に対し武力による反乱事件で、しかも成功すれば“政治体制の変革”も起こりうる事件であった。
従って、この天誅組の討幕活動は、“天誅組の乱”と呼ぶのが正しいように思われる。そしてそれを証するように、この事件を“天誅組の乱”とか“大和の乱”とか記している歴史書も散見する。
いずれにしても、この“変”や“乱”と呼ばれる武力闘争は、複雑でヤヤコシイ。(完)
奥河内の閑適庵隠居 横山 豊
(筆者注)
(上)五條代官所
(下)天誅組の幟
中山忠光(その1)討幕運動の機運
中山忠光(その2)討幕派の盟主
中山忠光(その3)天誅組は、討幕派!!
中山忠光(その4)天誅組の不可解な行動
中山忠光(その5)“変”か、乱”か ??
中山忠光(その6)“天誅組の乱”!!