中山忠光(その6)“天誅組の乱”!!

我が国での“戦い”をまとめると、次のようになる。

戦闘の区分 特     徴 具  体  例
戦い
合戦
局地的な戦い、戦闘
敵対する勢力対勢力の直接の戦い
千早・赤坂の戦い、湊川の戦い
川中島の戦い、桶狭間の戦い
関ヶ原の戦い、石山合戦
局地的な戦い、権力者の傘下も参戦する 大坂夏の陣
役 ・ 戦争 対外戦、外国勢との戦い、
辺境地域での戦い
文永・弘安の役、文禄・慶長の役
前九年の役・後三年の役
分裂した政治権力者同志が起こす内乱、
全国規模の騒乱、長期に渡る戦乱
応仁・文明の乱
時の権力者への武力による反乱
成功すると体制が変わる、体制の変革が起こる
承平・天慶の乱
大塩平八郎の乱、由比正雪の乱
(天誅組の乱・大和の乱)
時の権力者への武力による反乱、
支配者層内に起こった権力闘争、
短期で終結する突発的な事件
体制の変化、変革に繋がらない反乱事件
乙巳の変
本能寺の変
桜田門外の変
一揆 支配者の悪政に対する集団的抗議活動
土一揆 ・・・徳政(借金免除)を要求 正長の徳政一揆
国一揆 ・・・在地武士の領主権の奪取 山城の国一揆
一向一揆・・・門徒の自治のための挙兵 加賀の一向一揆、石山合戦
百姓一揆・・・年貢の減免要求 島原の乱、

次に日本での“戦いの呼称”は、次の4つに分類される。
まず第一は、“戦闘の行われた地名”が付いているもの
・・・桶狭間の戦い、本能寺の変、関ヶ原の戦いなど。
第二は、戦いが勃発した時の“元号”を付けているもの
・・・承平・天慶の乱、応仁・文明の乱、文永・弘安の役など。
第三は、反乱などを起こした“首謀者の名前”が付いたもの
・・・大塩平八郎の乱、由比正雪の乱など。
そして第四は、首謀者たちの“政治的主張”を事件の名に記したもの・・・天誅組の乱など。

このように“戦闘地域”や“元号”あるいは、“首謀者の名前”が付いた戦いは多いが、政治的主張をした事件は、なぜか少ない。おそらく天誅組の乱だけかも知れない。
ところで良く解らないのがこの“天誅組の変”である。
いくら五條という限られた“地域”で起こった事件であっても“五條の戦”でもなければ“五條の合戦”でもないし、“五條の陣”でもない。いわんや“五條の一揆”や“五條の役”でもない。するとやはり“五條の乱”か、“五條の変”となる。

しかしながら天誅組は“新政府”とか“皇軍御先鋒”とか名乗り、また隊士が自らの集団を“天忠組”と称し、あるいはまた“天誅ノ二字ヲ合言葉卜定メ”ていたようなので、やはり“天誅組の変”とか“天誅組の乱”とか呼ぶのが正しいようである。
この天誅組の変は、時の政治権力者である幕府に対し武力による反乱事件で、しかも成功すれば“政治体制の変革”も起こりうる事件であった。
従って、この天誅組の討幕活動は、“天誅組の乱”と呼ぶのが正しいように思われる。そしてそれを証するように、この事件を“天誅組の乱”とか“大和の乱”とか記している歴史書も散見する。
いずれにしても、この“変”や“乱”と呼ばれる武力闘争は、複雑でヤヤコシイ。(完)

奥河内の閑適庵隠居  横山 豊

(筆者注)
(上)五條代官所
(下)天誅組の幟

中山忠光(その1)討幕運動の機運
中山忠光(その2)討幕派の盟主
中山忠光(その3)天誅組は、討幕派!!
中山忠光(その4)天誅組の不可解な行動
中山忠光(その5)“変”か、乱”か ??
中山忠光(その6)“天誅組の乱”!!