河内 烏帽子形城 探訪記⑥中世の終焉と国の史跡認定
当烏帽子形城で特筆すべきことは、この城が今から430年前、豊臣秀吉の紀州平定のために構築された城であるということである。 戦国武将、特に信長や秀吉にとって、各地を支配する武将や農民もさることながら、最 …
当烏帽子形城で特筆すべきことは、この城が今から430年前、豊臣秀吉の紀州平定のために構築された城であるということである。 戦国武将、特に信長や秀吉にとって、各地を支配する武将や農民もさることながら、最 …
ここからいよいよ東南堀の中に下りていく。 堀の中は、快調に歩める。長年の腐葉土の堆積により足元のクッションはスコブル良い。しかもここは雨が降っていても森が深いので雨にかかることもないし、足元が濡れるこ …
この主郭で瓦葺の礎石建物が見つかっている。 北側の建物の柱間(はしらま)は、桁行7間(7m)、梁行2間(2m)(1間≒1m)、また南側のそれは桁行4間(10m)、梁行1間(2m)(1間≒2m)と北側の …
ほどなく東南尾根の付け根に至る。 ここには右に東外堀と東土塁が構築され、さらに東南堀切が穿たれて、今まで歩いてきた東南尾根を切っている。 ここから少し登ると土橋に至る。右に東北土塁と東堀を、左に東南土 …
神社の境内の横から緩やかな坂道を登る。道は森の中を走り、気持ちが良い。足元も悪くない。腐葉土が堆積しているからか足には柔らかく、さらに水はけも良さそうである。 登りきると古墳広場に出る。 ここに6世紀 …
南海・河内長野駅から西高野街道を歩む。旧西條橋を渡り、大日寺を通りさらに街道を進むとやがて烏帽子形八幡神社(えぼしがた はちまんじんじゃ)に至る。 石段を登る。 途中・右に恵比須(えびす)神社が祀られ …
一週間後、日野から導水路の探検を開始する。 導水路はいきなり森の中を歩む。しばらく進むと絶壁の下に丹保井路のあげ口(取水口)を見る。 絶景!! 見晴らしが良過ぎる。導水路はこの絶壁を縫うようにして走っ …
南海・千代田駅から西の緩やかな坂を登って行くと、寺ケ池(てらがいけ)に着く。地元ではこの池を寺池(てらいけ)と呼んでいる。筆者も地元の人たちが350年にわたり言い慣らわしてきた呼称「寺池」を尊重したい …
四天王寺の伽藍配置は、一般的に「四天王寺式」と言われ、南大門・中門・塔・金堂・講堂が南から北へ一直線に並んでいる。 瀬戸内を西から航行し、浪速津に上陸した当時の人々は、上町台地の上に一直線に並ぶ巨大寺 …
所在地 大阪府河内長野市喜多町 烏帽子形山にある城跡。 烏帽子形公園となっており、烏帽子形八幡神社がある。 元弘2年 / 正慶元年(1332年)、楠木正成が拠る上赤坂城の支城で、楠木七城のひとつとの伝 …