平成16年(2005)12月26日、スマトラ沖で発生した大地震によって引き起こされたインド洋大津波。その大津波で分かったことは、「島の知恵」や「古老の言い伝え」あるいは「伝説」など、古来からその土地で言い伝えられてきたことに重要な意味があると言うことである。
インドネシアのスマトラ島の西沖に浮かぶシムル島では八万人近い住民の内、死者はわずかに七人であった。
百年前の大津波の時、「地震のあとに海の水が引いたら山に逃げろ」と言う言い伝えがあり、今回のスマトラ沖地震でも海岸沿いの住民がこぞって高台に逃げて難を逃れている。「古い言い伝え」が災害を最小限に食い止めたのである。「島の知恵」「古老の言い伝え」「伝説」など古来からその土地で言い伝えられてきたことには意味が分からないけど、参考になる生活の知恵が盛り込まれているのではなかろうか。
古くからの言い伝えや伝説は、決して無視したり侮っては行けないことを教えている。
次ぎに、スリランカでは、海水は海岸から1Kmも沖合に引いた。漁民は沖に流されそうな舟を繋ぎ止めようとしていたし、子どもたちは突然現れた砂浜に出て魚を捕らえようとなだれ込んだ。その結果は明かである。また防波堤によって津波の被害をくい止めた例として、スリランカのガール旧市街地では、17世紀にオランダ人が造り、地元では、外国人支配の屈辱的遺産として、すこぶる評判の悪い要塞の城壁が、インド洋大津波を食い止め、約千人の住民の命を救ったと言われている。高さ5mの城壁が防波堤の役を果たしたのである。
それにしても近年、南海地震や東海地震などが起こりうると言われている時、また平成17年には「国連防災世界会議」で人形劇が上演されているのに、どうして「稲むらの火」の話が、現代の我々国民に知らされていないのであろうか。不思議である。
もし地震や津波が起こった時、この話を知っていれば、津波の時どう行動すれば良いのかの判断も付きやすく、災害防止にも大いに役立つと考えられるのであるが。
例えば『稲むらの火』の中で「五兵衛の目は、たちまちそこに吸付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や岩底が現れて来た」と言う記述がある。
平成16年(2005)発生のスマトラ沖大地震でも同じような現象が起こっている。津波そのものを知らない現地人は、津波が来ることを予想して逃げるどころか、反対に潮の引いた海に向かって歩いて行き、魚介類を採ろうとさえしている。そこまでいかなくても、少なくとも「地震が来たら逃げる、津波が来たら逃げる」ぐらいの知識は持ち合わせておきたいものである。
もし世界中の人々がこの「稲むらの火」の話を知っていたらどうであったろうか。今回のスマトラ沖大地震での被害はもう少し少なかったのではなかろうか。返す返すも残念なことになってしまった。
この『稲むらの火』の話を世界中に知らしめるのは我々地震国、津波国・日本の責務でもあると思うのであるが如何であろうか。さらに言うならば、良い話を語り継がないで、どうして郷土愛や愛国心が芽生えるであろうか。郷土愛や愛国心は、上からの押しつけで育つものではない。自らが良い話に感動し、皆のために自らが自発的に行動しようとする心、人のために献身的に行動すること、これが郷土愛を生み、愛国心が芽生えてくるもとになるのではないだろうか。
愛国心は押し付けの教育によって育つものではない。いくら「教」えても「育」たないと認識しておかなければならない。
浜口梧陵、こんな日本人を知っていますか。
横山 豊(よこやま ゆたか)
平成20年(‘08)5月26日 本稿 旧ブログに掲載済
【写真説明】
15世紀初頭、畠山氏が築いた波除石垣(高さ1m程度)
浜口梧陵(その1)『稲むらの火』
浜口梧陵(その2)「村の堤防」
浜口梧陵(その3)『稲むらの火(続編)』
浜口梧陵(その4)『稲むらの火を知っていれば・・・』
浜口梧陵(その5)『英国 ロンドンにて』
浜口梧陵(その6)『生き神様 浜口梧陵』
浜口梧陵(その7)『今、稲むらの火はどこに ??』