高向漢人玄理(たかむこのあやひとくろまろ)、あるいは高向漢人玄理(たかむくのあやひとげんり)は、『日本書記』にたびたび登場する。
推古16年(608)、小野妹子(おののいもこ)が率いる遣隋使に留学生として南淵漢人請安(みなみぶちあやひとしょうあん)や僧旻(みん)(新漢人 いまきのあやひとみん)らと共に玄理も留学している。
そして舒明12年(640)、32年ぶりに帰国したが、法律、政治制度に関する学識や隋の滅亡(618年)と唐の建国(618年)を目撃するなど海外情勢にも明るいことから、乙巳の変(645)後に成立した孝徳朝の新政権では、高向史玄理は僧旻と共に国博士(くにのはかせ)に任ぜられ、政府の最高顧問、政権のブレーンとして活躍した。
大化2年には、高向博士黒麻呂は、遣新羅使として新羅に赴き、外交交渉を取りまとめ、翌大化3年(647)、人質の新羅の王子・金春秋(のちの新羅第29代国王・武烈王)を伴って帰国している。このように帰朝者は国内の諸制度を整えるだけでなく、外交官としても重用されていたことが解る。
そして大化5年(649)、僧旻と共に“八省百官の制”を定めるなど、新政権で政治改革を行い活躍した。
さらに白雉5年(654)、高向史玄理は第3回目の遣唐使の押使(おうし)として唐に赴くも、同年、唐の長安で病死した。なお玄理の墓や墓石、墓碑などは未だ見つかっていない。
このように日本の律令国家で大活躍する玄理であるが、実際はどのような人物だったのであろうか。
玄理は、飛鳥時代を代表する学者で、本名は“黒麻呂(くろまろ)”と言い、姓(かばね)は、“漢人(あやびと)”、のちに“史(ふひと)”と言うが、記録を司った官職・書人(ふみひと)がそのまま姓になったようである。
そして『書記』には“高向博士黒麻呂”とか“高向史玄理”とか、と記されている。なお玄理は、入隋のため、高向を“高”と一字姓にし、黒麻呂も「黒=玄」「麻呂=万里(まろ)」から「理」と中国風に表記し、隋や唐に滞在中は、“高玄理”と称していたと推察される。
ところで高向氏は、高向村主(すぐり)や高向史(ふひと)と言われ、6世紀に渡来した氏族、応神朝に渡来した七姓漢人の後裔の一つで魏の文帝の末裔、あるいは東漢氏の一族、あるいはまた百済系渡来人の漢人の出と考えられているが、はっきりしない。いずれにしても渡来系氏族である。
なお高向(たこう)の呼称は、河内国錦部郡高向村(現・河内長野市高向)の地名に由来している。
ところで推古16年(608)、玄理が18歳の時に入隋したとすると、玄理は590年の生まれと推定され、白雉5年(654)に64歳で没するまで、推古~舒明~皇極~孝徳の四代の天皇に仕えていたことになる。
飛鳥時代、多くの渡来人がやって来た。
彼らは高度な技術や仏教文化など先進文化をもたらした。そのため日本固有の文化に外来の新しい文化が加わり様々な分野で技術革新や文化水準の向上がみられた。
特に百済(663滅亡)や高句麗(668滅亡)が滅亡したことにより、両国から多くの亡命者や難民が日本に逃れてきたが、渡来人の一世は、新しい文化を持ってきたが、二世、三世になると日本化し在地の文化と一体化し溶け込んでいったと考えられる。
なお彼らは、知識の伝達者であっても高級官僚に採用され政治に携わることはなかった。
ここで重要なことは、外来の文化も日本化し在地化していったのであるが、それは渡来人がもたらした文化や遣隋使や遣唐使の留学生が持ち帰った文化を受け入れる素地が日本にはすでに存在していたからと考えられる。
古代より日本は渡来人による文化のみを受け入れるのではなく、また朝鮮半島のみに新しい文化を取ることをせず、いつも最新の文化を直接摂取しょうと独自に遣隋使や遣唐使を派遣してきた。そういった意味では隋、唐への派遣は意義深く有意義であったと言える。
ところで河内長野では、高向(たこう)出身の玄理をモデルとした生涯学習推進マスコット“くろまろくん”を作り、また平成23年には、“市民大学くろまろ塾”を開校させ、市民に生涯学習の場を提供している。
ところが“ふるさと歴史学習館”の愛称も過っては「くろまろ館」と名付けられ親しまれていたが、現在では使われていない。学習館の愛称“くろまろ”をなぜはずしてしまったのか、不可解である。これらの愛称は、玄理が博士だったことに由来して“教育”に関するものに名付けられたはずだが・・・。
また玄理の“顕彰碑”を誕生の地・高向(河内長野市高向)と終焉の地・唐の長安(現・中国西安市)に建てようとする活動があった。そして河内長野市市制施行60周年の記念事業の一つとして碑は、平成26年12月“くろまろの郷”に建立された。
奥河内の閑適庵隠居 横山 豊
(筆者注)
(上)くろまろくん
(中)くろまろ塾・修士課程修了書
(下)高向玄理公顕彰碑
高向玄理(上)“古代国家をデザインした男!!”
高向玄理(中)“その人物像は!!”
高向玄理(下)“大志を抱いて決死の渡海、望郷の人たち!!”