中村輿次兵衛(その2)寺ヶ池の構築
“寺ヶ池とその井路”を構築した中村輿次兵衛(なかむら よじべえ)とは、どのような人物だったのであろうか。 寺ヶ池は、河内長野の上原(うわはら)村の庄屋・中村與次兵衛の発案により近江・膳所藩の領主・石川 …
奥河内 河内長野に関する、あんな人・こんな人・スゴイ人の紹介です。奥河内 河内長野のあれこれ 何にでも関心があり、突っ込みたがる関西人のブログです。河内長野の魅力、歴史散歩、習俗あれこれ、奥河内 河内長野にまつわるあんな人・こんな人・スゴイ人について。奥河内 河内長野の花・樹木や神仏見楽記など。
“寺ヶ池とその井路”を構築した中村輿次兵衛(なかむら よじべえ)とは、どのような人物だったのであろうか。 寺ヶ池は、河内長野の上原(うわはら)村の庄屋・中村與次兵衛の発案により近江・膳所藩の領主・石川 …
“世界かんがい施設遺産”がある。 世界で65ヶ所、そのうち日本では35ヶ所が認定・登録されているが、大阪府下では、狭山池(大阪狭山市)と久米田池(岸和田市)、そして平成30年(2018)、大和川分水築 …
日本は世界でも有数の災害国である。 思いもよらなかった地域に台風が上陸し、その結果、被災地では、「こんな大雨は今まで経験したことがない」「川が氾濫しようとは」、あるいは「こんな大きな地震はなかった」等 …
濱口梧陵(はまぐち ごりょう)(本名儀兵衛(ぎへえ))は、文政3年(1820)紀州・広村(現・和歌山県有田郡広川町)に生まれ、安政元年(1854)11月5日、安政東海・南海地震が発生した時は、35歳の …
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『仏陀の畑の落穂拾い』が出版されてから6年後の明治36年(1903)5月13日のことである。 浜口梧陵の末子・浜口坦(ゆたか)氏が、イギリスのケンブリッジ大学に留学し …
平成16年(2005)12月26日、スマトラ沖で発生した大地震によって引き起こされたインド洋大津波。その大津波で分かったことは、「島の知恵」や「古老の言い伝え」あるいは「伝説」など、古来からその土地で …
『村の防波堤』は、浜口梧陵のことをもっと知りたくて広川町の教育委員会にお願いし、貴重な資料を送っていただいた御礼に筆者が書き上げ同委員会に平成17年3月お送りしたものである。 ここにその時の礼状を掲載 …
「やっぱり出ていくのか」五兵衛は、寂しそうにつぶやいた。 これで村を捨てて出ていく者は何人になったであろうか。村に残っていても仕事はない。田畑は津波で流され、漁民は舟を失い、漁にも出られない。いやそれ …
「これは、ただ事でない」 とつぶやきながら、五兵衛(ごへえ)は家から出て来た。今の地震は別に烈しいという程のものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に …