日本では古代より幾多の“戦い”があったが、それらの“戦い”はその規模、地域、内容などによってその呼称がそれぞれ異なる。
“乱”と“変”と“役”、さらに“戦い”や“合戦”、そこに“陣”や“戦争”や“一揆”もあるから、その区分は、もっとヤヤコシク訳が分からなくなる。
そのうちでも“役”は、何となく海外との戦争のイメージがある。
例えば、鎌倉時代の元寇は“文永・弘安の役”、そして豊臣秀吉による朝鮮出兵は“文禄・慶長の役”と呼ばれるが、この“〇〇の役”は“戦役”の略と考えられている。
しかしながら、これが“戦争”となると、統一国家同士の戦いであるから、まず宣戦布告され、そしてどちらかが負けて降伏するか、あるいは滅亡するまで戦われる。
しかしこのように大規模な戦いではなく、局地的な戦闘には、“戦い”や“合戦”、“陣”がある。
“戦い”や“合戦”は、敵対する勢力対勢力の戦いで、その戦場は一部の限られた地域に限定される。さらに“戦い”と呼ばれているものに古代の白村江の戦いや、中世の千早・赤坂の戦い、湊川の戦い、あるいは戦国時代の川中島の戦いや、桶狭間の戦い、そして関ヶ原の戦いや石山合戦がある。
同じ“局地的な戦い”である“陣”は、“陣を張る”などと表現され、“大坂冬の陣”のように“城攻め”など、あるいは権力者の傘下の者がその指示で参戦するものも“陣”と呼ばれる。
ところが本当にヤヤコシイのは“乱”と“変”で区分が急に難しくなる。
“乱”は、分裂した政治権力者同士が起こす全国規模の騒乱、いわゆる“内乱”で、これには“応仁・文明の乱”がある。
“乱”のもう一つは、時の権力者、政治権力に対し武力による反逆、反乱で、この“乱”は、成功すると“体制が変わってしまう”、“世の中が変わってしまう”可能性をもち、“体制の変革”が起こりうる事件である。
これには平安中期、藤原純友が西国・瀬戸内の海賊を率いて猛威を振るい、一方東国では、関東土着の豪族・平将門が、関東全域を制圧、自ら新皇(しんのう)と称し、王城を建設、、家来を国司などに任命し関東独立国家を建設しようとした大反乱があった。この反乱は“承平・天慶(しょうへい てんぎょう)の乱(934~941)”と呼ばれている。
また“大塩平八郎の乱”は、天保8年(1837)、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者であった大塩平八郎とその門人たちが起こした武装蜂起で町奉行を討ち、豪商を焼き討ちしたが、その動機は“飢饉に喘ぐ民衆の救済”であった。
そのため幕府は兵を出したが、このような戦いは、島原の乱(1637)以来、実に200年ぶりであった。
一方、“変”は、時の権力者、政治権力に対し、政治上の対立から武力で立ち向かう反乱、陰謀事件、“支配者層の内部”で起こった“権力闘争”であるが、事件を起こした側が勝利しても“体制の変革”につながらない。
これには、大化の改新の端緒となった“乙巳の変(いっしのへん)”や明智光秀が織田信長を襲撃した“本能寺の変”などがある。
しかしながら、同じ“変”でも、“慶安の変(由比正雪の乱)”や“天誅組の変”などは、幕府の転覆や討幕がその目的で、単なる“変”とは少し意味合いが異なっている。
ここで忘れてはいけないのが“一揆”。
支配者の悪政を変えよう、動かそうとする集団的な抗議活動、戦いで百姓一揆に代表される。これは“意思と行動”を一つにする人々が、その目的を達成するための、しかも武力行使を含む抵抗運動である。
なお一揆には、農民が徳政(借金免除)を要求した“土一揆”があるが、これには正長元年(1428)の“正長(しょうちょう)の徳政一揆”が有名である。
これとは別に国人(こくじん)(土着武士・在地豪族)が守護や外部勢力から一国の支配権、実権を奪取しようとした、あるいは自己の在地の領主権を守るために起こしたもので、これは“国一揆”と呼ばれで、文明17年(1485)の“山城の国一揆”がある。
さらに一向宗(浄土真宗)の門徒が立ち上がったのが“一向一揆”であるが、このうちでも長享2年(1488)、加賀の守護・富樫氏を倒して約1世紀にわたって加賀一国を支配した“加賀の一向一揆”と元亀元年(1570)の大坂の石山合戦がある。
そして江戸時代になると我々に馴染みのある“百姓一揆”が起こる。
これは農民が年貢の引き下げを求めて藩などを相手に蜂起したもので、寛永14年(1637)の“島原の乱”は、キリシタン宗徒と浪人が一緒になって起こした農民一揆である。
これらの一揆で興味深いことは、15世紀には“土一揆”と“国一揆”が、そして16世紀の“一向一揆”、17世紀あるいは、19世紀の一揆は“乱”とよばれている。
このように我が国では、古代より幾多の戦いがあった。
奥河内の閑適庵隠居 横山 豊
(筆者注)
(上)「蒙古襲来絵詞」小学館『戦乱の日本史』32より
(中) 平将門像
(下)「大塩平八郎の乱 騒乱図」
デアゴスティーニ『ビジュアル日本の歴史』35より
中山忠光(その1)討幕運動の機運
中山忠光(その2)討幕派の盟主
中山忠光(その3)天誅組は、討幕派!!
中山忠光(その4)天誅組の不可解な行動
中山忠光(その5)“変”か、乱”か ??
中山忠光(その6)“天誅組の乱”!!