改元は、皇位の継承があった時だけでなく、災害、いわゆる大地震や疫病などが流行った時や政情不安の時、あるいは逆に瑞祥があった時や干支の辛酉(しんゆう)や甲子の年にも行われてきた。
改元することで、災いなどを断ち、次の時代こそ穏やかな生活が送れますようにとの“願い”が込められてきた。従って、改元とは多分に精神的な行事であると言える。
しかしながら現在では、『元号法』により皇位継承があった時にのみ年号を改めると規定されているため、改元は国民の願いが込められた“国民のための改元”ではなく、“天皇のための改元”となってしまっている。
今回の改元で一番の特徴は、改元について気楽に語れること、話題にできること、私案を考えたり求められたりすることかもしれない。語ることがタブーでないことが一番重要であり、これが改元が“国民のための改元”になっていく第一歩であり、このような動きこそ非常に望ましい。
さてその選定基準であるが、昭和54年(1979)施行の『元号法』で、次のように決められている。
(1)国民の理想にふさわしい良い意味を持つものであること。
(➡筆者注:好字を選ぶのは当然のことである)
(2)漢字2文字であること。
(➡筆者注:4字では長すぎるので当然のことだが・・・ )
(3)書きやすいこと。(➡筆者注:画数は15画未満ぐらいか)
(4)読みやすいこと。(➡筆者注:小学生が習う漢字程度か)
(5)これまでに元号やおくり名に使われていないこと。
(➡筆者注:国民に人気があるが、使用実績のある“安永”や“永和”は、不可ということ)
(6)俗用されていないこと。
(➡筆者注:地名、商品、会社名などは不可というが、日本古来からの天皇号の付け方と異なる)
さらに選定のガイドラインにはないが、現実として、頭文字のイニシャルが使えるとなると、M・T・S・H 以外になる。
ところで元号の出典であるが、従来、中国古典から引用されてきたが、平成の時には、日本文学の専門家も案を出している。しかし日本の国書が典拠となって決まった元号はいまだないようである。日本の元号を決めるのに、なぜ中国の古典から引用するのか、不思議である。今後は、国書に由来する案やその採用も検討してほしいものである。
さて改元決定の手順は、次の通りである。
学者が元号候補を考案➡ 原案を数個に絞る➡ 有識者で協議➡ 全閣僚会議で協議➡ 首相が決める➡ 新元号決定・発表。
なお現憲法下では、元号決定は天皇の国事行為に含まれておらず、天皇にはその決定権がない。
それにしても元号の選び方は、どうあるべきか。現在のように政府主導で決めて良いのか、大いに問題がある。
まず国民が元号について自由に話題にすること。
そして政府も“案”の段階で広く国民に提示し、国民の投票による選考も重要であるしネットの活用や世論調査の実施など、選考は国民が実施することが望ましい。
あるいは次の時代を担う人たちが新たな元号の選び方を検討するのも良い。こうすることにより初めて元号は、“国民のもの”となっていく。
しかしながら現代の日本において、ある日突然元号が発表され、今後は、この元号を使っていきなさいと“上から強要”されてくるが、これで良いのか、いささか問題である。
筆者は元号を“容認”するが、その元号の決め方はもっと民主的に、国民の合意が得られるような決め方をすべきと考えている。
国民が使う元号を国民が選ぶ。当たり前のことと考える。国民主権とは、国民が自ら選び決めること、そしてこれこそが本当の“国民の改元”であり、元号になると考える。
“改元は、誰のためか”が、もっと問われなければならない。
奥河内の閑適庵隠居 横山 豊
平成31(2019)・3・19投稿)
(筆者注)
(上)狭山神社(大阪狭山市)手水鉢
(下)御所の辻(河内長野市)太神宮夜燈