最近、我が国では憲法を改正しようとする意見が多くみられるようになった。
この背景には、中韓の動きがあると推察される。しかし憲法を改正し、現憲法が禁止する戦力を保持し交戦権を容認すれば、日本は本当に安全な国になるのであろうか。答えは「否」である。
自民党政権は、戦後65年かけて『日本国憲法 第9条』が目指す精神を追及してきた。
「第9条」には、「戦争放棄」と「戦力の不保持」と「交戦権の否認」の三つが謳われているが、このうちの「交戦権の否認」は、我が国の事情で今すぐにでも変更できる。
しかし「戦争放棄」は、日本の国力、経済状況と密接な関係があり、自民党政権は、日本が戦争放棄をせざるを得ない状況にまで追い込んでしまった。
食糧自給率は40%まで落とし、エネルギー自給率はわずか4%しかない。しかも原油の備蓄量は7か月ほどである。この状況で地域紛争、あるいは戦争でも勃発すれば、日本は何日、戦闘機を飛ばし、軍艦を航行出来ると考えているのであろうか。
石油の備蓄量のうち、民生用を除くと、軍事的に使用可能な原油量は、1ヶ月分か、2ヶ月分か。長くても数ヶ月分しかないであろう。
さらに、日本の原油の使用量の約8割を中近東から運んでいる。ホルムズ海峡の不安に、最近では、中国による南シナ海、東シナ海の問題もある。
仮にこの地区で海上封鎖でもされたら日本のエネルギー事情は壊滅的になる。
にもかかわらず、そのような危険を分散し、カナダやベネズエラなど他の地域から原油を輸入しようとする考えもないようである。
戦争は、経済力や軍事力で行うものである。
そしてその軍事力には、戦闘員の「数と質」だけでなく、その戦争を遂行していくための「装備」も含まれる。エネルギーの有無や多寡の問題もあれば、食糧自給率の高い低いもあり、それが軍事力に影響してくる。
戦後、日本は、特に自民党政権は、このことが全く理解できず、軍事力をどんどん低下させてきた。「戦力の不保持」を積極的にやってきたのである。その結果、日本を「戦争放棄」をせざるを得ない国にしてしまったのである。
それを今頃になって、「憲法を改正」して何の意味があるのか。
戦前、時の政府は、竹やりで戦えば日本は勝てると国民に思わせてきた。しかしエネルギーは、枯渇し食糧も底を付いてしまった。こうなっては戦争の維持、遂行などできるものではない。
このことを歴史は教えている。
にもかかわらず、今頃になって「憲法改正」など、正に「竹やりで戦おう」と言っているようなものである。「精神力で戦おう」など「憲法改正論者」には、未だに戦前の意識しかないようである。
仮に、日本には、原油の備蓄量が3年分ある。食糧自給率が100%を超えている。このような状況のほうが、日本が「憲法を改正する」よりも諸外国にとって脅威であり、そしてそれが「戦争の抑止力」になることを、なぜ気付かないのであろうか。なぜ理解できないのであろうか。
不可解である。
(中州行仁)