奥河内の流谷 サンシュユの里 春 黄金色に輝く !!
南海・天見駅前から出合の辻を通り流谷に入ると、美しい渓谷が続く。“勧請縄掛け”で有名な流谷の八幡神社を過ぎ、流れに沿ってさらに進むと、視界が大きく開ける。そこに美しく整備された棚田が広がっている。 …
西風狂散人の花・樹木紀行。奥河内 河内長野のあれこれ 何にでも関心があり、突っ込みたがる関西人のブログです。河内長野の魅力、歴史散歩、習俗あれこれ、奥河内 河内長野にまつわるあんな人・こんな人・スゴイ人について。奥河内 河内長野の花・樹木や神仏見楽記など。
南海・天見駅前から出合の辻を通り流谷に入ると、美しい渓谷が続く。“勧請縄掛け”で有名な流谷の八幡神社を過ぎ、流れに沿ってさらに進むと、視界が大きく開ける。そこに美しく整備された棚田が広がっている。 …
萩は日本の固有種で、また“萩”という字も国字として平安時代中期に編まれた『倭名類聚抄(わみょう るいじゅうしょう)』(931~38頃成立)にすでに登場する。 春の七草は、「芹、ナズナ、スズナ(カブ)、 …
空海が泉州槇尾山(まきのおさん)で修行していた時、長野の諸越長者(もろこし ちょうじゃ)の家に泊まらせてもらっていたが、空海は、そのお礼に空海自らが彫った薬師如来像を長者に贈り、長者もまた、その如来像 …
奥河内には“隠れ里”が幾つかあるが、唐久谷(からくだに)や惣代(そしろ)は、まさにその代表であろう。 惣代は、東・南・西を山に囲まれ、北にわずかに開いている。かっては石仏の集落から山の中の細い道を辿っ …
南海・千早口駅前から西に歩むと地蔵寺が建つ。さらに西に進むと地蔵谷のトンネルに至る。 昔、唐久谷に入るには、このトンネルの上のジルミ峠を越え、また唐久谷に住まいする人たちも同じ道を歩まないと高野街道に …
河内長野の東と南には、金剛・葛城山脈が走り、山を越えないと紀伊の国や大和の国には行けない。 紀伊の国には、滝畑から蔵王峠を越える滝畑街道が、また紀見峠を越える高野街道が通じ、一方、大和の国には、大沢峠 …
南海・三日市町駅の南西の住宅地・南花台のそばに日野浄水場がある。滝畑湖で採水された湖水の水は、この浄水場に送られ、ここで浄水となって市内の各家庭に送られている。 この浄水場の東の麓に勝光寺がある。 当 …
南海・三日市町駅の西の山手の住宅地・南花台から「うじの隧道」を抜けると日野に出る。その隧道の手前の坂を下りると勝光寺がある。 当寺は、昭和三十年代に創建された河内長野では比較的新しいお寺で、「松尾山 …
聖王を表す鳳凰(ほうおう)は、「桐の木だけに棲み、竹の実だけを食べ、霊泉にあらざれば飲まず」という言い伝えがあり、桐の木は霊鳥の宿る木と考えられてきた。ちなみに、鳳凰は瑞鳥、神鳥、霊鳥などと呼ばれ、鳳 …
外環(国道170号線)は、河内長野市の西を貫き関西空港に向かって走っているが、上原(うわはら)で国道371号線を分岐する。 分岐されたバイパスは「かつらぎ跨道橋」「町井大橋」「野間里跨道橋」の三つの橋 …
「色合ひよく、花房長く咲きたる藤」の花が登場する文学作品はまだまだある。 鎌倉時代、吉田兼好によって綴られた『徒然草』第19段には「折節(をりふし)のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ」と、季節の …
烏帽子形山は、南海の河内長野と三日市町の間に位置する海抜182mの山で、ここに烏帽子形八幡神社と烏帽子形城が、そしてこの山の麓を高野街道が走っている。 八幡神社の本殿は、文明12年(1480)石川源氏 …
奥河内の観心寺は、楠木正成ゆかりの寺院で、正成は少年期、当寺の中院で勉学に励んだと伝えられている。 延元元年(1336)、正成は兵庫の湊川(みなとがわ)で足利尊氏率いる北朝軍に敗れ同地で自害。しかしそ …
河内長野市に真言宗の名刹・観心寺がある。その塔頭(たっちゅう)の一つは、中院(ちゅういん)と呼ばれるが、この建物は、楠木正成(まさしげ)の曽祖父・成氏(しげうじ)が再建したと伝え、当院は、楠木氏代々の …
南海・河内長野駅から南西に4Kmほど行くと天野山金剛寺がある。 当寺は、女性でも弘法大師とご縁が結べる霊場であったことから「女人高野」と呼ばれて親しまれている。当寺には最盛期、子院が73ヶ寺もあったと …
「桜前線」が、日本列島を北上している。そして奥河内まで北上してきた。 桜前線(さくらぜんせん)は、日本各地の桜、主として染井吉野(ソメイヨシノ)の開花予想日を結んだ線を言い、それが天気図の前線を描いた …