うわみず桜 奥河内の観心寺に春を惜しむ!!

ウワミズ桜奥河内の観心寺は、楠木正成ゆかりの寺院で、正成は少年期、当寺の中院で勉学に励んだと伝えられている。
延元元年(1336)、正成は兵庫の湊川(みなとがわ)で足利尊氏率いる北朝軍に敗れ同地で自害。しかしその首級は、尊氏の命により当寺の中院に届けられ埋葬されたと『太平記』にみえる。 
そして現在、観心寺の境内の「大楠公首塚」と刻まれた五輪塔が建つ塚がその埋葬地とされている。
しかし、この塚は、新待賢門院(しん たいけん もんいん)の陵墓で、正成の首級が本当に埋葬された「首塚ではない」と考えられている。これは近世になって、この五輪塔の立つ塚が正成の首塚と称されるようになり、そのため新待賢門院の陵墓と正成の墓とが入れ替わって起こった錯誤に起因していると推察される。
なお、この新待賢門院は、後醍醐天皇の后妃(こうひ)で当寺に眠る後村上天皇の生母でもある。

ウワミズ桜この首塚の前に上溝桜(うわみず さくら)が咲く。
このウワミズ桜の花は、小さな花弁がいっぱい集まり、10Cmほどの白い花が麦の穂のように咲く。花は清楚で美しく、その花房からは桜の花のイメージはなく、むしろ狗尾草(エノコロ草)をもっと大きく、さらに美しくした感じがする。
この桜の材質はとても堅く、そのため「金剛桜」とか、あるいは樹皮が樺細工の材料にされることから「樺桜」とかの別名もある。

ウワミズ桜(上不見桜、上溝桜)の古名は、「波波迦(ははか)」と言い、『古事記』には次のような記述があり、興味がそそられる。
「天の香山の真男鹿(まをしか)の肩を内抜(うつぬ)きに抜きて、天の香山の天のははかを取りて、占合(うらな)ひ、まかなはしめて」と。
天の香久山で捕らえた鹿の肩の骨を、同じ香久山に生えている波波迦(ははか)の木で、焼いてそのひび割れの形状によって吉凶を占ったとのことである。
ウワミズ桜高天原で天照大神がスサノオの暴虐に耐えかねて天の岩戸に逃げ込んだ時、思金神(おもひかねのかみ)の案により常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)(鶏)を鳴かす、八咫鏡(やたのかがみ)や八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作らすが、同時に天児屋命(あめのこやねのみこと)らに、太占(ふとまに)をさせている。
太占とは、鹿の肩の骨を焼き、その割れ目の形状で吉凶を占う古代の日本で行われていた占いの一つで、鹿占(しかうら)とも言われる。
このようにウワミズ桜は、神話の世界にも登場する花樹で、4月25日頃、観心寺は勿論のこと、花と花樹の道(天見の遊歩道)でもこのウワミズ桜が、我々の目を楽しませてくれる。
ソメイヨシノ、八重桜、御衣黄(ぎょいこう)、山桜などいろいろな桜の花が咲いていくが、この花が咲くと、いよいよ桜の宴が終わり、初夏を迎える。春の名残りが惜しまれる花である。

西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)