萩は日本の固有種で、また“萩”という字も国字として平安時代中期に編まれた『倭名類聚抄(わみょう るいじゅうしょう)』(931~38頃成立)にすでに登場する。
春の七草は、「芹、ナズナ、スズナ(カブ)、スズシロ(だいこん)・・・」など、七草粥に入れる若菜で食用になるモノが選ばれている。
しかし秋の七草は、美しい花が選ばれており、特にそれぞれの花がもつ色彩が艶やかで面白い。
赤紫の萩、薄茶から銀色に変わって行くススキ、紫色の葛花、薄紫の瞿麦(なでしこ)、黄色の女郎(おみなえし)、薄紫の藤袴(ふじばかま)、紫色の桔梗(朝貌(あさがお)のこと)など。
そして萩は『万葉集』をはじめ『枕草子』や『徒然草』でも取り上げられ、また芭蕉の『奥の細道』でも詠われている。
清少納言は、『枕草子』第70段“草の花は”で、
萩は いと色深く、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れて、なよなよとひろごり伏したる。
さ牡鹿のわきて立ち馴らすらむも 心ことなり、と。
要約すると、
萩はたいへん色が濃く、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れてなよなよと広がって伏しているのがいい。牡鹿がとりわけ好んで立ち寄るそうであるのも特別な感じがする、と。
また吉田兼好も『徒然草』第139段「家にありたき木は」で、
秋の草は、荻(をぎ)、薄(すすき)、桔梗(ききょう)、萩、女郎花、藤袴、紫苑(しおん)、吾木香(われもかう)、刈萱、龍胆(りんどう)、菊、と記述している。
さらに
「一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月」
「白露を こぼさぬ萩の うねりかなあ」と芭蕉は詠った。私の好きな句である。
文学の世界だけではない。
この萩の枝や葉は、屋根や垣根の材料、枝を束ねて箒に、さらに若葉を摘んでお茶の葉の代用や、根を薬にもしたようである。そしてまた家畜の飼料としても利用されてきた。豊臣秀頼の生母・淀殿は、この萩で作った筆で写経していたとの伝承もあるように、萩は古来より我々日本人の生活に深く関わってきた植物のようである。
優雅で興味深い話もある。
草花で布地を摺り染め、それを仕立てた衣服を「花摺り衣(はなずりごろも)」と言うそうである。野遊びなどで萩の花枝に擦れてその花びらや葉が衣服に着くことがあるが、これを「萩が花ずり」と言い、染めなくても衣が「花摺り衣」になったといって古来より楽しんでいたようである。
話は変わるが、昔、東京に住んでいた時、ほとんど全ての大名庭園を見て回ったが、町人が造営した向島百花園(むこうじま ひゃっかえん)にも足を伸ばした。
私が訪ねた時、ちょうど萩の季節であったこともあり「萩のトンネル」を潜り抜けたことが懐かしく思い出される。しかしその時、“萩が花ずり”には、全く気付かなかったが・・・。
ちなみに河内長野では、9月中旬、観心寺を初め、石仏小学校や加賀田中学の側壁でも、萩の花を楽しむことができる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)