堺を発した西高野街道と平野から走ってきた中高野街道が合流する地・與通(よつ)に盛松寺(せいしょうじ)がある。このお寺は、「與通のお大師さん」と呼ばれ地元の人たちに親しまれている。
空海が巡錫していた時、当地で厄病平癒の祈祷をされたが、その祈祷されていた地より樟の木が生え、枝も四本に分かれてよく繁ったと言う。この樟の大木は、霊木として崇められていたが、枯れてしまったので、この霊木で大師像を刻み、ご本尊として安置された。
これが盛松寺に伝えられる創建の伝承である。
また、万病に効く薬として「柚子みそ」の製法を当地の人々に教授したと伝えられている。
当地の地名・與通は、この楠の木に由来している。
四釣樟(yoturu kusunoki)から「ru」や 「su」が省略されて、四久奴木(yotu kunoki)に、さらに「kunoki」も省略されて「yotu」のみが残り、地名になったと考えられる。
與通(よつ)を初め、「與津」「与通」「与津」「四津」「四釣」「四樟」「四久奴木」など、たくさんの文字で表記されるが、やはり「與通」と記すのが一般的のようである。
このお寺に常盤万作(ときわ マンサク)の花が咲く。
マンサクは、日本の固有の木で、早春にほかの花に先駆けて咲くので「まず咲く」、あるいは東北地方の方言「まんず咲く」が訛って「マンサク」になったという説がある。あるいはまた、黄色いひも状の花がたくさん付く様子を「豊年満作」に例えて名付けられたという説もある。
東北地方では、この花の咲き方でその年の作物の「出来、不出来」を占うと言う面白い言い伝えも残こされている。
この花が面白いのは、細長い紐状のチジレた花が咲くことである。そしてまた、その樹皮をねじって縄の代用にしたとも言われている。
4月中旬、紅花常盤万作(べにばな ときわ まんさく)が、盛松寺の境内に美しい輝きを放つ。
なお、2月末頃、大阪府立の花の文化園でも、赤と黄色に色付いたマンサクの花を楽しむことができる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)