奥河内の流谷 サンシュユの里 春 黄金色に輝く !! 

 南海・天見駅前から出合の辻を通り流谷に入ると、美しい渓谷が続く。“勧請縄掛け”で有名な流谷の八幡神社を過ぎ、流れに沿ってさらに進むと、視界が大きく開ける。そこに美しく整備された棚田が広がっている。
 林道は緩やかに登って行くが、さらに歩を進めると、唐久谷への分岐の少し手前を南に入った所が、“蝋梅(ろうばい)の里”・十六仙(泉)谷(じゅうろくせん・たに)と呼ばれる小さな渓谷である。
蝋梅は、1月末から2月上旬の寒い季節に鮮やかな黄色い花を咲かせ、優美な芳香を放つ。そして豪華で美しい佇まいを見せる。平成25年の1月、当地を訪れた時、この蝋梅に感動し、私は当地を「蝋梅の里」と呼んだ。
 そして毎年八幡さんの“縄掛け神事”がある時はこの蝋梅の里を訪れているが、今年(平成28年)の1月、この香豊かな花をより多くの人たちに楽しんでもらいたいと、十六仙谷の入り口に「蝋梅の里」という表示板も立てた。
 さらに驚くようなことがあった。当地は“蝋梅”だけではなかった。
地元の人の話では「ここには“サンシュユの木”がたくさんあり、春のお彼岸の頃、黄色の美しい花が楽しめる」とのことであった。そして今年の3月、当地を訪れて実感。蝋梅とは勝るとも劣らないサンシュユの群落を発見したのである。ここは「サンシュユの里」でもあった。
 “サンシュウ“と聞いて40年も昔のこと、友人と宮崎県の椎葉(しいば)村から五木村を訪れたことを思い出した。その時、哀愁籠る”稗搗節(ひえつきぶし)“を耳にした。歌は椎葉村に伝わる労働歌であるがその歌詞には、壇ノ浦の戦いに敗れこの地に逃れた平家の残党・鶴富姫と源氏の追討使那須大八郎との哀しいロマンスの伝説が歌われている。

  庭の山椒の木 鳴る鈴かけてヨ オーホイ       サンシュユ
  鈴の鳴る時きゃ 出ておじゃれヨ

  おまや平家の 公達流
  おどま追討の 那須の末
  
  那須の大八 鶴富捨てて
  椎葉立つ時きゃ 目に涙

 平家落人伝説の哀しい定めが胸を打つ。それにしてもこの稗搗節には、壇ノ浦の戦いで敗れ、この椎葉に逃げた平家の姫君とその平家を追ってここまで追って来た源氏の侍との禁じられた恋、人目を忍ぶ恋が歌われていて、サンシュウの木に付けた鈴が鳴れば、「今日は会える」との目印。昔から九州南部にはこのような風習があったようで、この愛のキューピッドをしていたのがこのサンシュウの木だったようである。

  サンシュユサンシュウと聞くと、一般的には宮崎民謡の「♪♪庭のサンシューの♪」と歌われた“稗搗節(ひえつきぶし)”が思い描がかれ、私も昔のことが頭をよぎって懐かしく感じた。
 しかしながら、この稗搗節に歌われた“サンシュ―”は、山椒(サンショウ)のことで、当地で美しい花を咲かせる山茱萸(サンシュユ)とは、全く別のものである。

サンシュユ”は、漢名の“山茱萸”の音読みで“さんしゅゆ”と読み、“茱萸”はグミのこと。従って、訓読みでは“山(ヤマ)・茱萸(グミ)”と読まれる。サンシュユ “
 このサンシュユも葉が萌え出る前に黄金色の美しく優雅な花が球状に咲き、木全体が春の光を浴びて黄金色に輝く。そしてこの「サンシュユの里」一面が豪華な黄色い花で燃え立つ。このように優美な佇まいをみせるサンシュユに牧野富太郎は“春黄金花(はるこがねばな)”と優しい名を付けている。言い得て妙である。
 この時期、オウバイやレンギョウなども美しい花を咲かせるが、小枝に房状に咲く花はそれらとは、また一味異なった風情がある。
 流谷のサンシュウは、“彼岸花”と言われるように3月下旬から4月上旬、満開となり我々を楽しませてくれるが、秋になると赤い珊瑚色の実を樹上に散りばめる。そのため“秋珊瑚(あきさんご)”いう優雅な名でも呼ばれている。
 流谷は自然の美しい渓谷であるが、特にこの流谷の十六仙谷は、1月には“蝋梅の花”が、そして3月末には“サンシュユの花”を心行くまで楽しませてくれる。ここは奥河内の「蝋梅の里」であり、「サンシュユの里」でもある。
                
                      西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)