空海が泉州槇尾山(まきのおさん)で修行していた時、長野の諸越長者(もろこし ちょうじゃ)の家に泊まらせてもらっていたが、空海は、そのお礼に空海自らが彫った薬師如来像を長者に贈り、長者もまた、その如来像を大切に祀っていた。三代経った時の長者の妻は、長者が亡くなると郷里の三日市に戻り七間四方のお堂を建て、この薬師如来を本尊としてお祀りしたと伝えられている。
南海・三日市町駅から高野街道を北へ遡り天見川を渡ると左に月輪寺(がちりんじ)が建つ。ここが長者の妻が建立したと伝えられているお寺である。
9月中旬、当寺の境内に月の光を受けて萩の花が風と戯れながら揺れている。
萩の花は、涼しげである。そして清楚であるが、色鮮やか。そして全てをさらりと受け流し、我を張らず優雅に風になびく。そのくせ好きなように気ままに咲き乱れている。
私はそんな萩が好きである。そして萩は、子供の頃の楽しい思い出に繋がる。
縁側に萩とススキ、そして三宝に盛られた月見団子を月にお供えしてお月見を祝った記憶が懐かしく蘇る。私は自分ではかなりの甘党と自認している。その内でもどちらか言うと和菓子が好きである。
御餅に餡子を付けたものに「おはぎ」と「ぼたもち」がある。
春のお彼岸にお供えするのが春の花の女王「牡丹」に似せて「牡丹餅」⇒「ぼた餅」。
一方、秋のお彼岸にお供えするのが秋を代表する花「萩」から「萩餅」⇒「御萩餅」⇒「御萩(おはぎ)」と呼ばれるようになったと言われている。
夏に採りいれられた小豆は、秋にはまだ柔らかいので粒餡(つぶあん)にして食しても美味しいが、翌年の春には少し硬くなっている。そこで粒をつぶして漉し餡にして食べる。
従って、“おはぎは粒餡”で、“ぼた餅は漉し餡”で頂くことになる。
ちなみにこの“こし餡”を皆殺し、“粒餡”を半殺しなどと物騒な言い方も聞くが・・・。
赤紫の花を付ける萩の花は、秋の七草の一つで日本の秋を代表する花である。この花は古くから日本人に親しまれてきたようで、『万葉集』では141首もの和歌が詠まれているそうである。
萩は毎年新しい芽を出すことから「はえぎ(生え芽)」が「生芽(はぎ)」に変化したと、そしてまた萩は、古枝には花を付けず、翌春に伸びた新しい芽だけに花を付けることから『万葉集』では萩に「芽」や「芽子」の字を当てている。なお萩の紅い花は、女性自身に似ていると、また萩は牝鹿と共に詠まれてきたが、この牡鹿の角は、男性を象徴していると言われている。
文学の世界で先ず思い出されるのが『万葉集』の山上憶良(やまのうえのおくら)の二首である。
「秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」
「萩の花、尾花、葛花、瞿麦(なでしこ)の花、女郎(おみなえし)花、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがお)の花」と七草が詠まれている。
そしてこれらの花は、秋風と戯れながら咲いている。特に萩は、少しの風でも揺れ、その風情が絵になる。緩やかに伸びる優雅な細い枝にたくさんの赤紫の小さな蝶々が舞っている。そんな風情がこの花から感じられる。枝が長く垂れ本当に優美な佇まいがある。そのため、そのような姿が万葉の昔から広く愛されてきたのであろう。萩は日本の秋を代表する花である。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)