南海・三日市町駅周辺は、江戸時代「三日市宿」の「宿場」であった。
しかし現在、このあたりは「三日市町」と言い、駅名も「三日市町」と命名されている。町名はやむを得ないとしても、せめて駅名は「三日市宿」にして欲しいと筆者は兼ねてから願っている。
駅名に「宿」と付いていれば、遠方から来られた人たちも、ここがかって宿場町だったと理解してもらえるが、「町」と名付けられていては、誰もここが江戸時代の宿場町とは気が付かないし、風情ある宿場町を思い描かないであろう。
今後もこのまま、この呼称が使い続けられていくことは、非常に残念である。
この駅前から高野街道を進む。石見川を渡り街道を南に採る。やがて新町橋に着く。
この橋から少し歩むと右に庚申堂(こうしんどう)が建つ。この庚申堂の少し先を左に折れ、南海の線路を渡り、道を右に採る。この道は南海の廃線道である。
そしてこの当たりは、石仏(いしぼとけ)の向井田(むかいだ)と言われる所である。
左の畑の上の土手に一群れ、二群れと幾つもの水仙の群落が見られ、我々の目を楽しませてくれる。
聞くところによると、この田畑の持ち主が時間を掛けて栽培されてきたとのことで、その長い年月がこのように美しい景観を作ってきたのである。
ややうつむき加減に咲く姿は、春の、しかもややためらいがちに訪れる春を待っているようにも感じられる。春はもうそこまで来ているのだが・・・。耳を傾け春の訪れを聞こうとしているのであろうか。そんな姿が水仙から感じられる。
水仙と聞くとギリシャ神話を思い出す人が多いのではないだろうか。美少年・ナルキッサスは、その美貌から多くの妖精や乙女たちの心を虜にしたが、その誘いや思いを傲慢に跳ね除け恨みを買っていた。
そのことを知った復讐の女神・ネメシスは「人を愛せない者は、自分自身を愛せばよい」とナルキッサスに呪いをかけ「自らに恋する少年」にしてしまった。
そのためナルキッサスは、水鏡に映った自分自身に恋をし、苦しみ悩み、最後は憔悴して死んでしまうのである。そして水辺でうつむきがちに咲く水仙に姿を変えてしまったと言われている。
これがギリシャ神話に登場する水仙についての有名な伝説である。
「ナルシスト」の名はここからきている。そのため花言葉は「うぬぼれ」とか「自尊心」とか「自己愛」とか言うそうである。
ちなみにナルキッサスの名は、このギリシャ神話から名付けられたという説と水仙の球根に中毒症状を起こす成分が含まれており、それをギリシャ語で「ナルケー =麻痺・麻酔」と言うので、それから名付けられたとする説とがある。
水仙は春の訪れと共に咲くので、欧米では水仙は「希望」の象徴となっているが、日本では、雪の中でも春の訪れを告げるので「雪中花(せっちゅうか)」と、あるいは風流人を指す「雅客(がかく)」と言う別名もある。
松尾芭蕉は「其のにほひ 桃より白し 水仙花」と、あるいは「初雪や 水仙の葉の たはむまで」と詠じている。
なお、石仏の向井田の水仙は、2月上旬満開となり、周囲にほのかな香りを漂わせながら春の訪れを告げている。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)