南海・滝谷駅前から西に不動・妙見道を採り、しばらく行くと松林寺に至る。
この寺の手水鉢には、多くの穴が穿たれている。この穴は、盃状穴(はいじょうけつ)と言われるもので、昔、子供を欲しがった女性は、石をぐるぐる廻してこの手水鉢に穴を開けたと伝えられている。
しかし医学の発達と共に、盃状穴が穿たれる習慣は、だんだん廃れ、明治中頃には、なくなってしまったようである。そしてこの習俗は、現在全く伝わっていない。
「子供は、神からの授かりもの」と、神仏に祈る気持ちが薄れてしまったのであろうか。なお河内長野市内の寺社では、三十数か所で盃状穴をみる。
この寺に樒(シキミ)の花が咲く。
4月初めごろ、淡黄白色で細長い花が咲く。
このシキミ、花も葉も実もさらに茎も根も、皆毒である。完璧なまでに毒である。秋に星形の実を結ぶが、毒はこの実に特に多い。
そのため果実は、植物として唯一「毒物及び劇物取締法」により劇物に指定されている。
でも語源は面白い。
四季を通じて美しいから「四季美(しきみ、しきび)」、あるいは果実の形から「敷き実」、そしてまたその実が有毒であることから「悪しき実」とも言われている。
この木は、葉や枝に香りがある日本固有の香木で、仏前の供養に、あるいは葉を乾燥させて線香に用いられてきた。そして毒気があるためか、樒を生けた水は、腐りにくいと言われ、その毒気が悪鬼を除き、悪しきを浄化させる力をもっているとも考えられてきた。
また、この香りを野獣が嫌うので、墓前に挿して、墓が荒らされるのを防いできたようである。
なお「抹香臭い」の語源は、この樒の香りに由来している。
さて、神社では、木偏に神と書いて「榊(さかき)」と読ませるが、寺院では木偏に佛と書いて「梻(シキミ)」と読ませていた。また樒(シキミ)は、木偏に密と書かれる。
これはこの木が密教の供養に用いられたことに由来しており、仏教では神聖な木と考えられてきたようである。
当寺の樒は、4月初め満開になり、周囲に甘い香りを漂わせる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)