奥河内の観心寺は、楠木正成ゆかりの寺院として知られている。
正成が幼少の折には当寺の中院で仏道修行に励み、湊川の戦いで敗れた後は、当寺に祀られた。そして幕末の文久三年(1863)天誅組は、その墓前に参り戦勝祈念と倒幕祈願をしたと伝えられている。楠公と観心寺、切っても切れない関係のようである。
その観心寺の境内に猿滑(サルスベリ)の花が咲く。
当寺は関西二府四県にまたがる「花の寺」の第25番目の寺院として名を連ねている。「関西花の寺25カ所」の花ごよみによると、登録されている寺院の半数近くが8月の花としてサルスベリをあげている。
従って、この花は春の桜に始まり、ツツジ、紫陽花、あるいは秋の紅葉に並び、寺院を代表する花の一つのようである。
それにしても「猿滑」とは、何と面白い命名であろうか。
幹の樹皮が剥がれ落ち、下から滑々した樹皮が現れてくる。この滑々した樹皮では、いかに木登りの上手な猿でも滑って登れまい、と名付けられた。
そしてまた、この木は、7月から9月にかけて、約三か月間、百日もの長きに渡り咲いていることから百日紅(ひゃくじつ こう)と記され、それを「サルスベリ」と読ませている。そしてその長い期間、花は我々を楽しませてくれている。
百日紅と言い、猿滑と言い、いずれの表現もこの木の特徴をよく捉えての命名と言える。
なおサルスベリは、百日紅と書かれるが、紅色だけではなく、白色のものもある。
そしてこのサルスベリとよく似たものに、りょうぶ(令法)や夏椿などもあるが、いずれも樹皮が剥がれ、このサルスベリと見間違ってしまいそうである。
なお猿の名誉のために書き添えておくと、猿はこの木を滑ることもなく、簡単に登ってしまうとのことである。
河内長野でこのサルスベリが楽しめるところは、観心寺を初め、住吉神社や寺池公園あるいは、千早の公民館や、奥河内の花樹と花園の道、さらに市内の多くの民家の庭先でも見られ、夏の終わりまで次々と咲き続けてくれる。
なお、明忍寺では、白い百日紅が我々を楽しませてくれる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)