南海・千早口駅は、岩瀬(いわぜ)にあり、本来、駅名は岩瀬駅と言うべきであろう。しかしながら戦前、当駅前から索道が引かれ高野豆腐の原料を千早村に送っていた。そのため千早村への入り口の意で「千早口」と名付けられ、現在もそのまま継承されている。
この駅前を少し南下し川を渡り、国道371号線を横切り、さらに西に行くと地蔵寺が建つ。
この寺は、蓮体(れんたい)和尚が元禄四年(1691)に再興した時、この清水の地が、清冽甘美の水が得られる地であることから、当寺の山号を玉井山(たまいざん)と名付けた。
その後、河内長野で唯一の藩である西代藩の藩主・本多忠統(ただむね)は、自らの好みから当寺に九華山(きゅうかざん)という山号を贈った。それが現在もそのまま続いている。
このお寺に石楠花(しゃくなげ)の花が咲く。花は、豪華で美しい。
日本では、石楠花は、深山に咲くことから、神秘の花、神棚に捧げる神聖な木「神木」とか、あるいは「忌み木(いみき)」と呼ばれて伐採などが避けられてきた。これは、石楠花が高山性植物のため栽培が難しい、いわゆる平地は生育条件に適さないことがその理由であったと考えられる。
そのため庭木として山麓に移植されることは少なかった。従って、品種改良はあまり進まず18世紀になってやっと始まったが、欧州では、園芸化が進んでおり、明治末、この品種が日本に入ってきた。
現在、我々がよく目にする西洋石楠花である。
話は変わるが、昔、大台ケ原の日出ヶ岳から大杉谷へ下った時、数Kmに渡って咲く石楠花の坂を下ったが、大変感動した思い出がある。それから何度か、この坂を下ったが6月の石楠花の最盛期を狙っての山行を計画しているため何時も雨に降られた。どうも石楠花と雨は切り離せないようである。
しかし、それから好きな花の一つが石楠花になった。
我が家でも石楠花を植えているが、今年はつぼみが幾つ着いたなどと毎年、気にしている。
当地蔵寺の石楠花は、4月末頃から楽しむことができるが、当寺は、この石楠花よりも紅葉や「天見郷のホトトギス(河内長野八景)」として有名である。
また岩湧寺周辺でもたくさんの石楠花が見られる。特に岩湧寺の多宝塔と石楠花の風情は心の目に焼き付けておきたい景色である。そして岩湧寺の石楠花は、4月末頃から見頃になる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)