奥河内の盛松寺に興味深い話が伝わっている。
大同3年(808)の頃、弘法大師・空海は、泉州槇尾山への巡錫の途中、当地(現・河内長野市楠町付近)で疫病が蔓延していることを聞かれ、厄病平癒のご祈祷をされた。その時、万病に効く「柚子みそ」の製法も村人に伝授されたとのことである。
柚子は殺菌力が強く、また味噌の原料・大豆は栄養価も高く、虚弱体質の改善や厄病封じには、最良の食材であり、この「柚子みそ」伝承には、科学性が見出せて興味深い。
一般的に、弘法大師のような宗教者は、医学的知識や薬学的知識を用いて民衆を助け、また、行基や叡尊・忍性に繋がっているように、橋を架けたり、池を構築するなどの社会奉仕活動も見られる。
空海が一人の僧侶の立場を超えて民衆の尊敬を集めてきたのは、この社会奉仕活動や医学・薬学の知識を生かした行動が、その根底にあったからであろう。
民衆と共に歩んだ空海。だからこそ、このような空海伝説が生まれてきたものと推察される。
毎年12月21日の終い弘法(しまいこうぼう)の日、この大師ゆかりの「柚子みそ」がお供物として当寺で振る舞われている。
この盛松寺に芙蓉の花が華やかに映える。
芙蓉は、9月から10月にかけて花径が10センチ内外の白やピンクの大輪の花を次々に付ける。
朝咲き、夕方にはしぼむが、咲いては枯れていくため、花が絶えず、しかも長い期間、毎日次々と咲き続けているように見える。
女性の美しく淑やかな顔立ちのことを「芙蓉の顔(かんばせ)」と表現されるが、この美しい女性に例えられる花が芙蓉である。
もっとも、ここで言われている「芙蓉」は、我々が認識している「芙蓉(木芙蓉)」ではなく、「蓮」の花を指しているようであるが・・・。
この木芙蓉(もくふよう)から感じられる風情は、「清楚にして艶麗、しかも憂いを含む」であろうか。
なお、女性の美しさを表す例えに「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は、百合(ゆり)の花」と言う表現があるが、この言葉は女性の立ち居振る舞いの美しさを表していて、顔立ちのことを言っていない。
この芙蓉に面白い品種がある。
酔芙蓉(すいふよう)と言い、朝の咲き始めは白いが、午後には淡い紅色、そして夕方になるとだんだん紅色になっていく。まるで花が「酒に酔った」ように見えるので、このように面白い、酔狂な名が付けられたのであろうか。
なお、盛松寺の芙蓉の花は、9月中旬ごろから毎日楽しめる。また酔芙蓉は、大阪府の花の文化園(河内長野市)で見ることができる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)