南海・三日市町駅から石見川を遡ると、左右は清流と青葉の道が続く。やがて森の中に延命寺を見る。
ここは現在「神ケ丘」と言われるが、かっては「鬼住(おにすみ)」と呼ばれていた。
伝説によると、和泉の国の父鬼(ちっちょに)に男鬼(なんき)が、また当地に母子の鬼が住んでいたが、夫婦で村人に乱暴を働いていたので、武勇の者によって桃の木で作られた弓矢で射殺されたとのことである。これが当地が「鬼が住む地・鬼住」と呼ばれるようになった地名伝承である。
この鬼住の延命寺に花筏(はないかだ)と呼ばれる珍しい花が咲く。
花筏は、葉を筏に見たて、その葉の真ん中に咲く花を「筏に乗った花」や「筏に乗った人」と連想されて名付けられたのであるが、なんとも優雅で美しい名を付けたものである。
あるいはまた、桜の花びらが散って水に浮かび、それが帯状に連なって流れていく様を筏に見立てたものも「花筏」と呼ばれている。
そして、これとよく似たものに「花筵(はなむしろ)」がある。
花筵は、桜の花が散って水面一面に花筏が浮かぶのと異なり、地面一面が桜の花びらで埋め尽くされた様子を言い「花ござ」とも言われる。
もっとも桜の花は、散って花びらが舞うことを「花吹雪」と言ったり、「花筏」や「花筵」「花ござ」など、いずれも優雅で風流な名が付けられている。
なお、花筏はなぜか「嫁の涙」と呼ばれている。
言い伝えによると、嫁ぎ先で哀しい思いをした嫁が人目を忍んで流した涙がこの葉の上に落ちたと、あるいは「葉に実のなる木」を探してくるように命じられた嫁が、探しても見つからない悔しさから落とした涙が木の葉の上で真珠のように輝いていたと。
人魚の涙は、真珠と言われるが、嫁の涙は、暗くて悲しい。
むしろ「天使の涙」と言うほうが何かスッキリする。
それとも「天使の宝石」とか「月の雫」や「星の雫」、あるいは「黄色い夜露」など、もっと明るく、ほのぼのとした名を付けたいものであるが、いかがであろうか・・。
なお、同じ涙でも、鬼住では「鬼の目にも涙」がピッタリと合いそうであるが、そのような言い伝えはない。
花筏は、金剛・葛城行者道(ダイトレ)そばの葛城第17経塚付近でも見られるが、河内長野市内で、ほかに咲いている所を知らない。この花樹は貴重で非常に珍しい木と言えそうである。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)