南海・美加の台駅から住宅地への緩やかな坂を登って行くと興禅寺(こうぜんじ)に着く。
興禅寺は、行基(ぎょうき)が当山に泊まった時、阿弥陀如来坐像を安置、祀ったのがその始まりと伝えている。
この興禅寺の境内に赤坂上之山神社(あかさか かみのやま じんじゃ)が鎮座し、明治政府の神仏分離令を全く無視した祭祀形式を残している。
そしてこの寺社は、神社とお寺の祭祀のあり方、日本の古来からの神仏の祀り方、あるいは我々日本人の古代から現代に至る神仏との関わりを示す貴重な遺構でもある。
この興禅寺と赤坂上之山神社との境内に蓮池がある。
蓮は、泥沼に美しい花を咲かせることから聖なる花、極楽浄土の花と考えられ、仏様の座る蓮華(れんげ)座など、仏教を象徴するイメージがある。
そして蓮の花は「花の君子(はなのくんし)」と賞されている。
蓮の花床(かしょう・花托)には多くの穴があり、それが蜂の巣に似ていることから、蜂巣(はちす)といわれ、それが訛ってハスになったと言われている。
蓮の花は、夏の早朝、水面まで花茎を立てて花弁が開き、午後三時頃閉じる。この花弁の開花は三日続き、四日目に花弁が散ってその寿命を終える。
この蓮とよく似たものに睡蓮(スイレン)がある。
蓮も睡蓮も、花が咲いてから三日間、咲いたりしぼんだりするが、その閉じる様子を「花が睡眠する」、「睡眠する蓮」から「睡蓮」と呼ばれるようになった。
蓮の葉は、水を弾き、葉が立つ。さらに蓮の花は水面より上で咲くが、睡蓮は水面に咲く。やはり蓮と睡蓮とは微妙に違うようである。
蓮の花・蓮華・花蓮(はなばちす)は、仏像の台座・蓮華座を始めとして、仏教思想や仏教美術などにその影響を残している。特に仏教発祥の地・インドでは極楽浄土は蓮の花の形をしていると考えられおり、お釈迦様が生まれて初めて歩いた時、その足跡に咲いたのが蓮の花と伝えられている。そして仏や菩薩が、あるいは極楽往生した者が座る蓮の花の台座を蓮台(れんだい)とも、蓮の台(はすのうてな)とも優雅に表現されている。
しかし蓮は高貴で可憐な花など、良い意味ばかりがあるわけでもない。
「蓮の葉商ひ(はすのは あきない)」などは、際物(きわもの)商売とか粗悪品の商いのことを言うし、「蓮の葉女(はすのは おんな)」とか、「蓮葉女(はすはめ)」あるいは「蓮っ葉女(はすっぱ おんな)」などは、軽はずみで生意気、しかも下品で、馴れ馴れしく浮気っぽい女性の態度や言葉使いを言っている。
要は、蓮の葉が水面で波や風にユラユラと揺れ動くさまが、「軽率な言動をする女」や「浮気性の女」を連想させ、このような悪いイメージのたとえができたのであろうか。
興禅寺の蓮は、7月25日頃満開になる。
当興禅寺に水琴窟(すいきんくつ)がある。
非常に珍しく、当地ではここにしかない。繊細で優雅な、そのくせ秘めやかな音が地中から聞こえてくる。そして我々はその微かに聞こえてくる音に耳をそばだてて楽しんでいる。当寺で蓮の花を愛でるのも素晴らしいが、この水琴窟の音を楽しむのも、また一興がある。
なお河内長野市内では、延命寺の蓮池や天野山金剛寺あるいは盛松寺でも蓮の花が楽しめる。
特に、盛松寺の蓮は、弥生時代の地層から発見された種から2000年の時空を超えて発芽した「大賀ハス」が20鉢以上もあり、6月後半から7月中旬その全盛を迎える。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)