奥河内の花樹と花園の道
大正4年(1915)に開通した高野登山鉄道(現・南海電鉄高野線)は、三日市町から紀見峠を越え橋本に至る区間を山肌を縫うように走っていたが、昭和59年、その複線化に伴い多くのトンネルが掘られ、従来の路線 …
西風狂散人の花・樹木紀行。奥河内 河内長野のあれこれ 何にでも関心があり、突っ込みたがる関西人のブログです。河内長野の魅力、歴史散歩、習俗あれこれ、奥河内 河内長野にまつわるあんな人・こんな人・スゴイ人について。奥河内 河内長野の花・樹木や神仏見楽記など。
大正4年(1915)に開通した高野登山鉄道(現・南海電鉄高野線)は、三日市町から紀見峠を越え橋本に至る区間を山肌を縫うように走っていたが、昭和59年、その複線化に伴い多くのトンネルが掘られ、従来の路線 …
河内長野市に「保護樹木」と呼ばれる木がある。 これらの樹木は、河内長野市の「きれいなまちづくり」条例・第3節「みどり豊かなまちづくり」の趣旨に則り指定されたもので、その第28条(1)項に「保護樹」の規 …
南海・千代田駅から寺池に向かって緩やかな坂を登り、四つ辻を右に採り、道をさらに北に進み、次に東に入ると、西高野街道と平野から走ってきた中高野街道との合流地に至る。 與通(よつ)大師・盛松寺(せいしょう …
堺を発した西高野街道と平野から走ってきた中高野街道が合流する地・與通(よつ)に盛松寺(せいしょうじ)がある。このお寺は、「與通のお大師さん」と呼ばれ地元の人たちに親しまれている。 空海が巡錫していた時 …
「無患子」と書いて「むくろじ」と読むが、この字にふり仮名が打たれていなければ、まず読めない。 無患子(むくろじ)は、「患いの無い子」「子に患は無い」「子が患わない」の意と解され、縁起が良く、さらに、「 …
南海・天見駅前の天見川と流谷川(ながれだにかわ)の合流地・出合の辻から流谷に入ると、美しい渓谷が続く。 この渓谷は、昔は「そそぐ谷」と呼ばれていたようである。 毎年1月6日、勧請縄掛け神事が行われる流 …
一輪、二輪しか咲いていない梅を野山に探し求めて訪ね歩くことを「探梅(たんばい)」と言い、梅を観賞することを「観梅(かんばい)」と言うそうである。 その梅の花が楽しめるのが観心寺である。 観心寺は、大宝 …
寺池公園を廻り小山田口バス停を通り、さらに歩を進めて小山田・中の町を過ぎると、道は少し上り坂になる。途中、左の民家の庭にキリシタン燈籠が立つ。さらに歩を進め坂を登り切ると小山田のバス停に着く。この右上 …
南海・千代田駅から緩やかな坂を登っていくと、まもなく寺池に着く。 この池は、地元の中村與次兵衛の発案で、慶安二年(1649)着工、寛文元年(1661)、12年の歳月を掛けて構築された灌漑用の溜池である …
南海・千早口駅は、岩瀬(いわぜ)にあり、本来、駅名は岩瀬駅と言うべきであろう。しかしながら戦前、当駅前から索道が引かれ高野豆腐の原料を千早村に送っていた。そのため千早村への入り口の意で「千早口」と名付 …
近鉄・河内長野駅から黄金橋を渡り諸越橋(もろこしばし)の方へ少し進むと、右に河合寺川が石川に注いでいる所がある。ここは鳴滝と呼ばれている。 この滝のそばの崖の中腹に胸にロザリオを掛け、首が欠落した女人 …
南海・美加の台駅から住宅地への緩やかな坂を登って行くと興禅寺(こうぜんじ)に着く。 興禅寺は、行基(ぎょうき)が当山に泊まった時、阿弥陀如来坐像を安置、祀ったのがその始まりと伝えている。 この興禅寺の …
神納(こうの)から清流沿いの緩やかな山道を行く。しばらく進むと大江時親邸跡に着く。 ここは楠木正成に兵法を伝授した大江時親の屋敷跡と伝えられている。 両側に山が迫る府道・加賀田片添線をなおも進むと、や …
南海・天見駅前の出合の辻から流谷に入ると、美しい渓谷が広がる。この渓谷に毎年1月6日、勧請縄掛け神事が行われる流谷八幡神社が坐している。 当神社の祭神・八幡神は、長暦3年(1039)1月6日、石清水八 …
南海・天見駅前の出合の辻から流谷に入ると、美しい渓谷が広がる。この流谷の渓谷では、多くの南天(なんてん)が庭や石垣などに植えられている。 また駅前から南海の廃線道を南に採ると、この道の両側にも南天が見 …
小深の元・小深神社(現・天狗堂)の境内に多羅葉(タラヨウ)の木がある。 この多羅葉の葉の裏に傷を付けたり、あるいは文字を書くと黒く浮かび上がる。この性質を利用してこの葉に文字が書かれた。 また葉を焙る …