南海・河内長野駅から南西に4Kmほど行くと天野山金剛寺がある。
当寺は、女性でも弘法大師とご縁が結べる霊場であったことから「女人高野」と呼ばれて親しまれている。当寺には最盛期、子院が73ヶ寺もあったと言われているが、現在、吉祥院(きっしょういん)と摩尼院(まにいん)の2院しか残っていない。
その吉祥院で3月末から4月初め、木蓮(もくれん)の花を楽しむことができる。
木蓮の本来の花の色は、紫色で、シモクレン(紫木蓮)と呼ばれるが、我々は、白い花が咲くハクモクレン(白木蓮)を木蓮と呼んでいることが多い。花が蘭(ラン)の花に似ていることから、昔は「木蘭(モク・ラン)」と呼ばれていたが、むしろ花が蓮(ハス)の花に似ていることから今は「木蓮(モク・レン)」と、あるいは「木蘭」が訛って「モクレン」と呼ばれるようになったと言われている。
白木蓮の花が咲き、それから10日ほど遅れて紫木蓮が咲く。
花は、葉が出る前に、大きくて幅広で、しかも厚みがある乳白色の花を小枝の先に開く。また花は、上向きにやや閉じたように咲き、全開しない。そのような花の姿に筆者は何か控えめな清楚さを感じる。
そして春の日差しを受けてこの木蓮が咲くと、やっと春が来たと少し華やいだ気持ちになる。
木蓮には、何か心を躍らせるものが潜んでいるのであろうか。
この木蓮とよく似た花に辛夷(こぶし)がある。
いずれも白い花を付けるが、花弁の数が違うように見える。
白木蓮は花弁が6枚と花弁のように見える3枚のガクがあり、しかもそれらは色も形も大きさもよく似ているので、9枚の花が咲いたように見え豪華である。しかし辛夷は、横向きに6枚の花弁のみで、しかも白木蓮よりも小振りで薄く風車のような花がいろいろな方向を向いて咲く。
木蓮も辛夷も開花前には、その蕾が「北を向く」と言われている。
これは日の光を受けて南側が早く生長し膨らむためで、花先が北側を指す。そのため、これらの花の蕾を見れば方角が判ると言われ「磁石の木」とも呼ばれているようである。
ちなみに筆者の家にも木蓮も辛夷も植わっているが、今だにその実感がない。しかも花だけを見ると木蓮と辛夷の区別すら難しく、よく間違えている。
春は、白木蓮が咲き、次に辛夷が咲いて春の訪れを告げるとその花を追いかけるように桜が咲く。そのため木蓮前線もまた、桜前線に先駆けて北上して行く。
木蓮の花が一枚散ると、その花弁は「春が来ました」と周りに白いチラシを配りながら、我々にも春の訪れを告げているように思われる。
そしてまた、白木蓮が咲くと枝イッパイに小鳥が群がって止まっているように見えるし、その風情は春を告げる白い蝶々のようにも見える。筆者はこの時、春を実感する。
この吉祥院の庭にキリシタン燈籠が一基立っている。そしてその燈籠は当寺の奥殿の入口の沓脱や奥殿の北西角にもある。しかし仏教寺院でのキリシタン燈籠の存在は、なぜか違和感を覚えるし、不可解でもある。当寺は、この燈籠がどのようなモノか、よく理解されていないのであろう。
なお、4月1日頃、観心寺の山門右の木蓮も真っ白な花を付け、我々を楽しませてくれる。
西風狂散人(かわちのふうきょうさんじん)