極楽寺は、南海・河内長野駅の東北の地に建つ。
当寺は、聖徳太子が錦渓山温泉寺として創建、薬師如来を祀ったと伝える名刹であるが、その後、荒廃した。正中2年(1325)、融通念仏宗中興の祖と言われる法明上人は、当寺を再興、本尊を阿弥陀如来とし、さらに寺号も錦渓山極楽寺に改称した。
当寺に金神(こんじん)が祀られている。
頭上に六つの仏頭らしきものを戴き、右手に剣、左手に鏡を持ち勾玉の首飾りをしており、まるで神話の世界に登場する何々の命(みこと)のような姿である。しかしこの「剣と鏡と勾玉」という三種の神器にも相当する権力者の象徴を備え、頭上に十一面観音のような六面金神を戴き神仏が合体した神像こそ金神なのである。
そしてその台座には“天地七面金神王”と刻まれており、この像は間違いなく金神像そのものである。
一般的に、金神は、剣を持ち恐ろしい形相をした鬼面の姿で龍に跨る神として現され、当寺の金神の姿は、少し異質かもしれない。
“天地七面金神”とは、「天地」が“天金神”と“地金神”を、そして「七面」が“年月日東西南北”の金神を指し、これで全ての金神の禁忌(きんき)が防げると考えられている。
金神は、道教の方位・方角に関わる禁忌から成り立った陰陽道の方位を司る神の一つで、金神の居る方位は、全て“凶”とみなされ、その凶の方角で家を建てる、修理する、土を掘り返す、あるいは移転や旅行などが忌(い)まれている。
ところで日本の神々は旅をするが、金神もまた遊行(ゆぎょう)する。
そしてその金神の居る方位や遊行する期間は、その年の十干・十二支(じっかん・じゅうにし)によって決まり、金神が遊行した方角は、侵してはいけないという教えがある。
それにしても、何とも複雑な戒めを決めたものである。
そして金神の巡っている方位を侵すと災いがおこり、その家の者7人に、いない場合は隣家の者まで殺されると言われ、この七人殺されることを“金神七殺(しちせつ)“と言い恐れられた。
陰陽道では、“方忌み(かたいみ)”とは、“方塞がり(かたふさがり)“の方角を避けることであり、“方違え(かたたがえ)”とは、その方塞がりを避け、克服するための方策である。
方違えは、外出する時、この金神の居る方角を避け、移動する前夜、いったん他所へ移り、滞在して目的地が凶方(きょうほう)にならない方角へ迂回してから行くことをいい、このような対応は、日本人の生活の知恵であったと考えられる。
なお金光教(こんこうきょう)や大本教(おうもときょう)は、この偉大な力を持つ神を味方につけ、この恐ろしい祟り神を崇める信仰、金神信仰を基にして生まれた宗教である。
金神という方位に関する凶神を作り出し、そしてその自ら作り出した神を恐れる。存在もしないものをさもあるように思い、恐れる。さらに人は、その災いや恐怖を避け逃れる方策を考え出す。
信仰とは困ったものである。
時代は変わっても人の考えは変わらないし、人間は成長しないのであろうか。しかし避け逃れる方策があるということは、最初から金神そのものが存在していなかったからであろうか。
なお日常、我々が意識している方位は“鬼門(きもん)”と呼ばれる東北方向で、これも陰陽道から起こった習俗であるが、この方向へ旅をするなど、何かの行動をしても、特に恐ろしい目に遭うことはない。今後、我々は自ら作り出した神を恐れず、またそのような呪詛からも逃れることが重要である、と考えるがいかがであろうか。(H26・8・4 見楽)
楠菊亭梅光(なんぎくてい ばいこう)