奥河内の石仏寺 珍奇なご本尊が好き!!【奥河内 神仏 見楽記】

石仏寺本尊 南海・美加の台駅から国道を渡り坂道を上ると石仏寺(いしぼとけでら)に至る。高野街道は、このお寺のお堂の前の坂道で、真下の道は新しい道である。
当地では、寺院の建つ地山の岩を直接削って石仏を彫り出したので、御本尊の阿弥陀如来は、地山から生えていると信じられていた。しかし『河州錦部郡 石仏村 曼荼羅山阿弥陀寺 畧縁起』は、次のように伝えている。
弘仁年中(810~24年)、弘法大師・空海が讃岐の祖谷渓で修行していた時、夜な夜な光る石があった。そこで空海は、この瑞光のある石に天照大神と春日大明神さらに阿弥陀如来の三体の神仏を彫り、この内の阿弥陀さまだけを当寺に安置したと。そして『縁起』は、この石仏は「霊験あらたかなる事 世に顕然たり」と記している。
なお、このお寺は、正式には「曼荼羅山阿弥陀寺(まんだらさん あみだじ)」と申し上げ、石仏寺は通称である。そしてまた、村の名もこの阿弥陀さまにちなみ“石仏”と呼ばれるようになったようである。
石仏寺本尊
それにしても、天照大神と春日大明神は、どこに行かれたのか、定かではない。今も伊勢や奈良を目指してさ迷っておられるのであろうか。御気の毒に!!

弘法大師・空海は、多くの仏像を彫ったと言い伝えられている。
当河内長野でも、国宝に指定されている観心寺の如意輪観音像、大阪府の文化財の指定を受けている三日市・月輪寺(がちりんじ)の薬師如来像、さらに鬼住・延命寺の地蔵菩薩像がある。
そのため江戸時代の川柳に「仏師屋を しても弘法 食えるなり」というのがあるが、空海の造仏があまりにも多いので、空海は僧侶としてだけでなく、仏像を商っても食っていける、と皮肉ったのである。

ところでこのお寺の石造のご本尊・阿弥陀如来は、見るからに奇仏で珍奇なお顔。
その御姿はまるで素人が彫った仏様。観心寺や月輪寺の御本尊とは比べようがない。レベルが違う。かたや腕の良い仏師の作、方やど素人の作。この石仏寺の仏様、余りにも素人ポイ作。
何の飾り気もない素朴さ!! 
さらに洗練されていないところが、いかにも修行に打ち込む空海の作と言えそうである。
だから、筆者は、この仏様に何となく親近感を覚える。
珍奇結構、ズングリムックリ結構。見栄えの良さよりも霊験あらたかであれば。見目麗しい女性よりも性格の良い女性が好き!! 女性と仏様、なぜか似ていませんか!!
因みに我が妻は、才長けて見目麗しく情けある観音さま !!  
珍奇でズングリムックリの阿弥陀さまではありませんぞ、念のため。(H25・9・17 見楽)

楠菊亭梅光(なんぎくてい ばいこう)