奥河内 岩瀬の塞の神、災いを塞ぐ!!【奥河内 神仏見楽記】

南海・千早口駅から東に1Kmほど行くと、道は左右に分かれる。
真っ直ぐ行くとクヌギ峠を越えて太井に至り、もう一つは、サイノ神谷から府庁山に登る道である。
ついでに言うと、この府庁山への登山道は半端じゃない。まるで階段を登るような道である。もし登る気があるならば、それなりの覚悟が要る。
この分岐点の山裾に石の祠があり、塞の神(さいのかみ)が祀られている。
この神さまについて面白い話が伝わっている。
塞の神この塞の神さまは、子沢山で大変貧乏だった。そのため毎年10月、出雲に出かけて行く時に着ていく着物にすら困っていた。そこでこの神様が知恵を絞って考え付いたことは、藁(わら)を積みあげ、それに火を付けて煙を立ち込めさせることであった。そして友達の神さまに家が燃えてしまい、出雲に行くどころではなくなったと言ってため息をついたとのことである。
このように、神様の世界でも、金持ちもいれば、貧乏な神様もいるようで、まるで人間世界を見ているようで面白い。そしてこの貧乏な神様の行動もなぜか、よく判るし、納得もできる。そしてまた、このような貧乏な神様が我が家にも昔からずーと居座っておられるような気がする。

ところで、塞の神とは、厄病や悪霊などの災いが村に入ってこないように村境や峠、辻、橋のたもとなどに祀られる神様で、まさに、遮る神(さえぎるかみ)のことであるが、道祖神(どうそじん)とか、岐の神(ふなどの神)とか、あるいは巷の神(ちまたのかみ)や辻の神(つじのかみ)などとも呼ばれている。
塞の神岐や巷、あるいは辻などは、道が分岐する、あるいは交叉する場所で、そこでは目には見えない神様も疫病も、そして人間も行き来したが、そのうちでも、特に災いになるもののみ、その侵入を遮るために祀られたのが、この塞の神さまで、正に「境界を司る神」と言える。
そしてこの塞の神は、遮るだけの神ではなく、道祖神と習合して、旅の安全を守る神・旅行神や縁結びの神あるいは安産や子供の神としても祀られてきた。
そのため、その御姿は、多様で丸石もあれば陰陽石も、あるいは男女二神が彫られたものまである。
この神さまは、元々、原始の信仰から発展してきた神さまと考えられ、そのご神体も当初は丸い石、いわゆる「丸石神」であったが、その後、大陸から旅や道路の神「道祖神」が伝わり、さらに仏教の影響を受け「地蔵菩薩」とも習合していったと推察される。
今でも、地蔵菩薩と丸石神が同じお堂に祀られていることがあるが、丸石神と地蔵菩薩とは、同じ霊力をもった神さまや仏さまとして捉えられ祀られてきたものと考えられる。
河内長野では、塞の神は、この岩瀬だけでなく、天野と下里の村の境界や花の文化園下の川のそばにも祀られている。(H25・8・8 見楽)
                                 楠菊亭梅光(なんぎくてい ばいこう)