河内長野の富士山!!天見の旗尾岳【河内長野 こんなオモロイとこ!!】

 日本人の好きな山、いつかは登ってみたい山の筆頭は“富士山”である。
 日本一高い山。唱歌で子供のころから親しんできた山。白く雪を被り、優美に裾野を広げた秀麗な山容。新幹線から眺めると比類なき美しさと荘厳さにうっとりする。富士山が一番に選ばれるのはモットモである。
 そして好きな山は、阿蘇山、立山、穂高岳、槍ヶ岳と続くようであるが、これらは北アルプスの山々と故郷の山・阿蘇山で占められている。
 しかし日本三名山(駿河の富士、越中立山、加賀の白山)の一つ、加賀の白山が入っていない。今の時代、信仰の山は、魅力がなく人気がないのであろうか。それともこの山に登ることが厳しいので魅力がないためであろうか。私も2度この山に登っているが非常に厳しく、もう一度登りたいとは決して思わない山であるが・・・。

 ところで富士山は、古来より『竹取物語』などの文学に、また信仰の山として富士登山が、さらに葛飾北斎に代表される「富嶽三十六景」などの浮世絵や日本画にも描かれてきた。やはり富士山は、別格のようである。
 しかし好きな山に、おらが町の山、身近な山、例えば関西を代表する金剛山や六甲山が出てこない。この二座はご当地のみの山、故郷の山の域を出ないからであろうか。

 子どもの頃、北摂に住んでいたが、近所の神社の境内から富士山が見えると友達仲間で言っていったが、今思うと当然のことながら見えていなかったのであろう。近くの富士山に似た山容の山を見て子供心にそう思っていたのであろうか。可愛いものである。
 それでは富士山は、どのくらい離れた所から見えるのか。一番遠くから富士山が見える地はどこか。
今のところ富士山最遠望の地は、富士山から南西に約323Km離れた和歌山県那智勝浦町の色川富士見峠(322.9Km)と名付けられた所とのことである。
 逆に最北の地は、299Km離れた福島県日山(ひやま)とか、308Km離れた福島県飯舘村・川俣町境界の花嫁山とも言われている。
 さらに遠くから見えないかと、今もなお多くの人たちが挑戦されているようである。

 ところでこの富士山の高さであるが、昔から計測し挑戦されてきたようである。伊能忠敬は、享和3年(1803)に3928mと、そしてシーボルトは、文政9年(1826)に3793mと、そして大正6年(1926)の旧陸軍参謀本部陸地測量部による測量で3776mに決まったとのことである。

 富士山について最近もっと面白いことがあった。
 “富士山の体積測定”である。“体積のはかり方”を募集していた。何と遊び心がうずくことか。
 標高は決まっているが、その体積は如何ほどであるのか、問題は富士山の裾野をどこに設定・定義するかによって大きく変わる。ちなみに裾野の位置は、回答者が自由に決めてもいいそうであるが・・・。

 富士山で面白いのは、銭湯の浴室に壁絵として富士山のペンキ絵が描かれていることである。この絵は、大正元年(1912)静岡県掛川市の絵師が東京神田の銭湯に描いたのが最初と言われているが、大阪の銭湯ではほとんど描かれてこなかった。
 なおその壁絵の絵師も銭湯の減少と共に少なくなってきているようであるが、日本の習俗の一つが失われていくようで少し残念な気がする。

 ところで興味深いのは、その山容が富士山に似ていることから“○○富士”と名付けられた“郷土富士”や“ふるさと富士”があり、その数、全国で340ヶ所以上もあるとのことである。
 北は蝦夷富士といわれる羊蹄山、南は薩摩富士の開聞岳、また“富士見”と称される地が37都道県に418ヶ所あるらしい。

 大阪府にも“ふるさと富士”がある。
 “河内富士”と言われる交野市の交野山(こうのさん)(344m)、“泉州小富士”と呼ばれる泉佐野市の小富士山(260m)、そして“天見富士”と称される河内長野の旗尾岳(はたおだけ)(548m)の三座で、このうちで旗尾岳が一番高い。
 なおこの“ふるさと富士”の呼称は、旧国名の付いたもの(河内富士・泉州小富士)や所在地の名が付いたもの(天見富士)などがあり、呼称は二つに大別されているようである。

 それにしても旗尾岳は、本当に秀麗な姿をしており、天見に行くとその山容に圧倒される。山の西を高野街道が走り、山頂には城砦が築かれていたとの言い伝えがあるが、それを実証する文献も城跡としての痕跡も何も残されておらず、単なる伝承の域を出ない。
さらに河内長野では、大原山・バッチョ峰(366m)や滝畑の権現山(423m)、そして一徳防山(541m)などが富士山型の秀麗な円錐形の山容を誇っているが、これらの山には、“○○富士”と言うよう別称は付いていない。
 大原山・バッチョ峰の呼称は、興味深いが、なぜ“バッチョ”と言うのか、その意味するところがよく解らない。
 滝畑の権現山も山頂に城跡があったとの言い伝えがあるが、これは蔵王峠を越えて侵入してくる紀州勢に備えての砦だったという位置づけなのであろうか。
 そして一徳防山 は、響きから寺院の跡かと思われるが、この一徳防山の“ボウ”は防衛の“防”で、宿坊などの“坊”ではないので、やはり寺院とは関係がないようである。

 なお山の呼称や別称、愛称は、命名者が解らずいつの間にか自然に付いたものであるが、これらの山には特に別称などはついていないようなので、この際、愛称を名付けるのも面白いかも知れない。大原山・バッチョ峰は“岩瀬富士”、滝畑の権現山は“滝畑富士”、そして一徳防山 は“加賀田富士”と。

 ところで奥河内の富士4座(旗尾岳、大原山・バッチョ峰、権現山、一徳防山)を観光資源に、あるいは大阪の“ふるさと富士”として三市共同で観光客誘致の企画ができないものであろうか。できれば観光政策の一つとして面白いのだが・・・。

(筆者注)
(上)駿河富士山
(中・左)旗尾岳(天見富士)
(中・右)大原山・バッチョ峰
(下・右)一徳防山
(下・左)権現岳

                      R2・5・29  横山 豊