河内長野のクロスワード『三日市宿編(カギ)』

市町村をよく知ってもらうため、かっては“カルタ”や“双六“などが発行されていたが、一人で遊べ、しかも市町村のことをもっと深く知ってもらうには、クロスワードは、最良のアイテムと考えられる。
河内長野の“クロスワード【三日市宿編】”を解くと、史跡や文化財にあふれた当地をぜひ訪れたいと思われるのではないだろうか。 “河内長野のクロスワード『三日市宿編』”に挑戦しませんか。 
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   R5(‘23)・3・30   横山 豊

【タテのカギ】
1:元々、菜種、綿実油の製造販売をしていたことから、屋号は〇〇〇屋と称し三日市宿の本陣旅籠として栄えていた。
2: 江戸時代、三日市宿では、〇〇〇〇が開かれ庶民の教育が行われていた。
3:上田の増福寺には、頭が着脱できる〇〇〇像が秘蔵されている。
4:〇〇〇〇は、法令などを記して宿場の辻などに掲げられた板の札。なお三日市宿の高札場は、旧三日市役場の西側、旧三日市交番の北西にあったと言われている。
5:高野山女人堂への道標〇〇〇石は、堺から高野山まで13基建っている。
7:浄土〇〇〇〇〇は、鎌倉初期、親鸞が開いた仏教の一つ。仏教界最大の信徒を持つが、河内長野では真教寺と、もう1ヶ寺のみ存在している。
8:里程石建立の発起人となり13基の里程石を建立した狭山茱萸木の人。〇〇〇。
17:〇〇〇〇は、江戸時代、街道の宿場に設けられた大名や幕府役人などの公的な旅籠。
19:河内守護職畠山義深亡きあと、村人はその冥福を祈り寺を建てた。寺号は、義深の院号から〇〇〇〇寺と名付けられた。
20:上田の〇〇〇〇宮の社殿は、小塩の“八幡宮”の旧社殿を移築したものである。
21:〇〇行者(〇〇小角)は、飛鳥時代の呪術者。葛城修験道の開祖で葛城山や大峰山で修行したと伝えられている。
23:河内〇〇〇は、平安~室町時代に美原や丹南で活躍していた技術集団。上田村の田中喜久治は、旧・三日市小学校辺りを作業場として梵鐘などを吹いていた。
24:油屋のカイズカイブキは、自然環境を維持するために保護を必要とするとして、保護〇〇〇〇に指定されていたが、現在指定が解除されている。
25:寺院が多く集まっている地域を〇〇町と言うが、一般的には近世の城下町に起源をもつ都市に多く見られる。

【ヨコのカギ】
1:〇〇〇〇とは、外部からの侵入を遮断するために辻角の街路をズラした道のこと。
6:三日市の〇〇〇寺は、河泉地蔵24霊場の第2番の札所。
9:増福寺の辻に観音堂があったことから、当地は“〇〇の辻”と呼ばれている。
10:“〇〇〇地蔵霊場”は、河内国と和泉国の24ヶ寺の地蔵尊で構成されている。
11:幕末から明治期の上田村の女性教育者。畠山〇〇。
12:幕末から明治中期まで上田で〇〇〇〇塾を開き、多くの子女に教えていた女性。
13:〇〇〇とは、町長や村長が事務を執る所。なお三日市では、旧三日市交番の北にあった。
14:文久3年(1863)8月17日、大和国五條の代官所を襲撃した尊王討幕派。〇〇〇〇〇組。
15:贅沢に飽き、浪費を重ね没落し餓死したと伝わる〇〇〇〇長者
16:江戸時代、三日市の〇〇〇〇〇寺では、「読み書き、ソロバン」の塾が開かれていた。
18:江戸幕府を倒そうと挙兵した尊王討幕派の公家。中山〇〇〇〇。
20:狭山茱萸木の住人で、里程石建立の発起人の一人。〇〇〇〇〇。
22:神社仏閣の手水鉢などに穿たれた穴は、〇〇〇〇〇穴と言われるが、何時、誰が、どのような目的で開けたのかよく解っていない。一般的には子宝を願った女性が穿ったと言い伝えられている。
26:〇〇〇〇寺の本尊・薬師如来は、三日市の“薬師さん”と親しまれ、また当寺には、諸越長者の伝説がある。
27:旧三日市〇〇〇〇は、平成19年、三日市町駅前に移転したが、その建屋は、平成22年、河内長野市の文化財に指定された。
28:柳原〇〇〇〇〇 は、大正から昭和にかけて活躍した女流歌人、文筆家。大正三美人の一人。
29:禁教の江戸時代でもキリスト教の信仰を続けた人たち。〇〇〇〇キリシタン。

【解答欄】
三日市宿 A B C D E F G H I

三日市宿編カギ

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