河内長野のクロスワード『流谷編(解説)』

【タテの解説】
1:稲を天日で干す稲架掛け(ハザガケ)は、昔ののどかな田園風景であったが、近年では農作業の効率化を図るためか、
刈り取るとすぐに脱穀、乾燥している。
2:砥石(トイシ)谷の奥に第17番の経塚があるが、流谷には第16番の経塚“流谷金剛童子”がある。
6:湯立て(ユタテ)神事は、湯に浸した笹の葉を巫女自身や参拝者に振りかける儀式で禊(みそぎ)の一種。
9:流谷の八幡神社では、石清水八幡宮から祭神を勧請したと伝わる1月6日頃、勧請縄掛け(ナワカケ)神事が行われる。
11:河内長野の日本(ニホン)遺産は「中世に出逢えるまち」、「女人高野」、そして「葛城修験」の三つ。
15:経(キヨウ)塚は、平安の末法思想の隆盛に伴い、お経を後世まで残すために造られた。
16:役(エン)の行者(役小角)は、7世紀後半の山岳修行者で修験道の開祖。大峰で修行する前は岩湧山で修行していた。
17:昭和44年、楠(クス)の木は“河内長野の木”に制定された。八幡神社には市内一と思われる巨大な楠の木がある。


【ヨコの解説】
1:八幡(ハチマン)神社は、石清水八幡宮の別宮で長暦3年(1039)、同社からご神体を勧請したと伝わる。
3:薬師寺の白衣観音は、マリア像で、河内長野に残るキリシタン遺物の一つ。
4:蝋梅(ロウバイ)は江戸期に渡来した花で 流谷の“ロウバイの里”では、1月頃から“人を悩ます香り”であふれる。
5:銀杏・黄蝶(イチョウ)は、源頼朝の寄進と伝わる。樹齢は約700年以上で府の天然記念物。
7:役行者が残した経塚や行場を巡って行う修行を葛城修験(シュゲン)と言い、令和2年、日本遺産に認定された。
8:棚田(タナダ)は、段々畑とも言われ、人類が構築した景観の一つである。
10:南天(ナンテン)の実は、のど、咳止めの薬であるが、切り花としても重宝され天見地区で多く栽培されている。
12:流谷の“山茱萸(サンシュユ)の里”では、黄色い花が咲き誇っている。なお♭稗つき節♯で歌われる“山椒
(さんしょう)“は、当地で美しい花を咲かせるサンシュユとは別のもの。
13:注連縄には、平年は12本、閏年は13本の榊(サカキ)が取り付けられる。
14:縄掛け神事では、社殿側にある柿の木(カキノキ)と対岸の勧請杉との間に注連縄が張られる。
16:裏に願いごとが書かれた絵馬(エマ)は、祈願や神仏の恩に感謝するために寺社に奉納される。
18:元弘3年、出合の辻で安満見(あまみ)合戦が行われ、王(オオ)の塚は楠木軍の戦没者を弔うための供養塔と伝えられている。
19:縄掛け神事では、勧請杉(スギ)と柿の木を挟んだ流谷川の上に長さ約70mの注連縄が渡される。
20:流谷の十三(ジュウサン)仏碑は、13回の追善供養に当てはめられる明王や菩薩が刻まれた碑であるが、この碑には
仏教徒だけでなくキリスト教信者の洗礼名も刻まれている。

【解答欄】 流谷:花と神事の谷
ながれだに
流 谷 A B C D E F G H I
ハ ナ ト シ ン ジ ノ タ ニ