河内長野のクロスワード『観心寺・延命寺編(解説)』

R4(‘22)年9月9日   横山 豊

【タテの解説】
1:槙本(マキモト)院は、観心寺に現存する塔頭の一つで文禄年間に建立されたと伝わる。欄間は、意匠技巧とも見事。
2:弘仁6年(815)、空海が寺号を観心寺に改めたと伝わるが、当寺の伽藍造営などは、空海の筆頭弟子・実恵(ジチエ)によるところが多く、実恵は当寺の実質的な開基。境内の道(どう)興(こう)大師廟に祀られている。
6:盃状(ハイジョウ)穴は、安産と豊穣を願って穿たれたと考えられ、手水鉢に最も多く見られる。
8:延命寺は、紅葉の名所。空海お手植えの“夕照(ユウバエ)の楓(かえで)”が残されている。
14:天皇の仮の宿舎や宮殿は、行在(アンザイ)所と呼ばれるが、南北朝時代、観心寺や金剛寺は行宮となっていたことから河内長野は、南朝の都であった。
16:昭和3年の昭和天皇の即位の大礼の時、京都御苑に建てられた饗宴場が下賜されたが、これが観心寺の恩賜(オンシ)講堂である。
18:“関西花(ハナ)の寺25ヶ所霊場”は、近畿2府4県の25の寺院が特に力を入れている花樹を巡る霊場巡りで、平成5年に結成された。観心寺は第25番で“梅と桜”に力を入れている。
19:楠木正成の甥と伝わる和田(ワダ)正遠(ささとお)は、楠木軍の将帥として武功をたてたが、千早城で病没。和田氏の菩提寺・常楽寺(現・延命寺布教場付近)に眠る。
21:延元元年(1336)、楠木正成は神戸湊川で足利尊氏に敗れたが、首級(しるし)は尊氏の命により観心寺に届けられたことが『太平記』に見え、これを埋葬した所が楠公の首(クビ)塚である。
22:大正11年、西国丗三所の御本尊の観音(カンノン)菩薩が刻まれた石像が勧請され、延命寺は観音巡礼ができるお寺となった。
23:寺院の本尊を安置するお堂は、真言宗では“金堂(コンドウ)”と呼ばれることが多いが、“本堂”、と称される寺院もある。

【ヨコの解説】
1:毎年5月、観心寺で開催され楠木正成(マサシゲ)の供養祭は、楠公(なんこう)祭と呼ばれている。
2:鬼住村出身の淨厳(ジョウゴン)は、延宝5年(1677)延命寺を開山。その後将軍や諸大名の帰依も厚く、元禄4年(1691)江戸に霊雲(れいうん)寺も建立した。
3:建掛(タテカケ)塔は、正成の死去により工事を中断、そのため一層しか建立されなかったと伝わる。
4:中院(チュウイン)は、観心寺の塔頭の一つで楠木家の菩提寺。正成は幼少時、ここで修行したと伝わる。
5:観心寺の槙本院の邪鬼(ジャキ)は、片足を投げ出し頬杖を突く姿は大胆で目はいたずらぽい。作者の遊び心がうかがえる傑作である。
7:延命寺周辺には古来より薬草や薬樹が多いことから淨厳は、延命寺の山号を“薬樹(ヤクジュ)山“とした。
9:延命寺の堂宇は淨厳の弟子・蓮体(レンタイ)が造営したが、同時にご本尊の如意輪観音像も刻ませている。
10:河内長野には、「中世に出逢えるまち」、「女人高野」、そして「葛城修験」の三つの日本遺産(イサン)がある。
11:延命寺の山門(サンモン)は、河内長野唯一の藩・西代藩の陣屋門を移設したと伝わる。
12:真言密教の秘法・求聞持(グモンジ)法とは、記憶力増強法のことで、求聞持(グモンジ)堂で修行が行われる。
13:昭和52年(1977)、河泉地蔵霊場会により“河泉24地蔵(ジゾウ)霊場”が定められ、延命寺は第3番、観心寺は第5番の札所となっている。
14:延命寺で行われる弘法大師空海の降誕会(ごうたんえ)法要は、葉(アオバ)祭と呼ばれている。
15:後村上帝は、正平14年(1359)12月より観心寺で政務を執ったことから、その遺詔(いしょう)により観心寺に葬られ、陵墓は、檜尾(ヒノオ)陵(みささぎ)と称されている。
16:延命寺周辺は、かって“鬼住(おにずみ)”と呼ばれ、鬼(オニ)の母子が住んでいたとの伝説がある。
17:観心寺や延命寺のご本尊は、如意輪(ニョイリン)観音。特に観心寺のご本尊は、秘仏で、毎年4月中旬、開扉があり、国宝の観音像を拝観することができる。
20:役(エン)の行者(役小角)は、大峯山にその修行の場を移すまで岩湧山で修行していた7世紀後半の山岳修行者。修験道の開祖で『続日本紀』に登場する。
21:平安前期の真言宗の開祖・空海(クウカイ)は、密教を学び、弘仁7年(816)、金剛峯寺を開いた。
24:観心寺では弘法大師空海が勧請したと伝わる北斗七星が祀られていて、梵字が刻まれた星(ホシ)塚が金堂を取り囲み、毎年2月3日、節分星祭が開催されている。
25:正平年間、河内長野は、“南(ナン)朝の都”であるばかりではなく、“日本の都”でもあった。
26:延命寺の山門横には、「不許葷辛酒肉入于界内」と刻された戒壇(カイダン)石(結界石)が立ち、酒や肉など修行の妨げになるものが界内に入ることを禁じていた。
27:後村上(ゴムラカミ)帝は、正平9年(1354)から6年間、金剛寺で、そして同14年から10ヶ月間、観心寺で政務を執り、その後住吉へ移った。吉野賀名生(あのう)などと共に“行宮サミット”などを開催すると面白いのだが。
28:鬼住の鬼を退治したと伝わる弓矢(ユミヤ)が延命寺の寺宝として残されている。
29:延命寺の蓮(ハス)池は、大正11年に造られたもので、五重塔は竹生島を表している。なお蓮は、仏教の世界では聖なる花と考えられている。
30:如意輪観音は、一つの顔と六つの腕をもつ“一面(イチメン)六臂(ろっぴ)”の像で、衆生の願いを叶えてくれる観音である。
31:観心寺で見られる侘助(ワビスケ)は、椿(ツバキ)の一種で茶人に好まれ茶席に飾られていることが多い。

観心寺・延命寺編(解説)
観心寺・延命寺編(解説)

河内長野のクロスワード【観心寺・延命寺編(カギ)】