河内長野のクロスワード『天野山金剛寺カギ編』

 市町村をよく知ってもらうため、かっては“カルタ”や“双六“などが発行されていたが、一人で遊べ、しかも
市町村のことをもっと深く知ってもらうには、クロスワードは、最良のアイテムと考えられる。
 河内長野の“クロスワード【天野山金剛寺編】”を解くと、史跡や文化財にあふれた当地をぜひ訪れたいと思われるのではないだろうか。 “河内長野のクロスワード『天野山金剛寺編』”に挑戦しませんか。  イザ!! イザ!! イザ!!
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R4(‘22)年7月20日   横山 豊

【タテのカギ】
 1:平安初期、空海が開いた仏教の宗派。〇〇〇〇宗。
 2:金堂の裏山は“大師山”と呼ばれているように、〇〇〇〇は、当寺で修行していたと伝わる。
 3:求聞持(ぐもんじ)堂の本尊は、虚空蔵〇〇〇。
 4:金剛寺の本尊は、〇〇〇〇如来。
 5:阿観上人は、金剛寺を再興するにあたり、〇〇明神などを金剛寺の鎮守として勧請している。
 6:〇〇〇派は、仁和寺を本山とする真言宗の一宗派で、金剛寺もこの宗派に属している。
10:“〇〇〇24地蔵霊場”は、河内国と和泉国の24ヶ寺の地蔵尊で構成されていて、金剛寺は、第12番札所。
11:僧が食事をする場所であるが、ここで政務を執られたことから「天野殿(あまのでん)」と称されている。
12:密教において、息災増益を祈念して執り行われる時の曼荼羅。本尊の右下に不動明王、左下に降三世明王が描かれて
いる。
13:不動明王を本尊とした〇〇堂では、息災や増益などの願い事が書かれた〇〇木が焚かれる。
16:天野山金剛寺は、後村上天皇が「天野殿」で政務を執ったことから、“天野〇〇〇〇”と称されている。
18:河内長野の〇〇〇〇〇は、阿観による金剛寺の再興に始まり、烏帽子形城の廃城で終わるが、この時代は、公家や
武家、寺社がそれぞれ力を持っていた時代でもある。
19:『〇〇〇〇四季山水図』屏風には、四季の変化と太陽や月が描かれていている。
21:弥勒菩薩の居所で、南北朝期、後村上天皇が6年間、行(あん)在所(ざいしょ)にした子院。
22:慶長年間、豊臣〇〇〇〇は、多宝塔や五仏堂の修理をした。
25:金剛寺で醸造されていた〇〇〇酒は、多くの戦国武将に愛飲されていた。

【ヨコのカギ】
 1:850年に渡り金剛寺で執り行われている空海の法要。なおこの法要では、百味飲食(ひゃくみおんじき)という山海の幸が供えられる。
 7:寺院の本尊を安置するお堂で、主として真言宗で称されている。
 8:修験道で野外で行われる柴のかがり火。
 9:南北朝時代に吉野の賀名生(あのう)から金剛寺に入り、6年間、金剛寺で政務を執った天皇。
14:南北朝時代、南朝の天皇と北朝の三上皇が金剛寺を行在所としていたことから、ここは“〇〇朝の都”であった。
15:江戸時代まで女人が参詣できた寺院。〇〇〇〇高野。
16:仏前に供える水を汲む建屋を〇〇〇〇と言う。
17:阿観に帰依し金剛寺に多くの所領を寄進して金剛寺の再興を支援した皇女。
20:元禄時代、金剛寺の修理をしたのは、岸和田藩主の〇〇〇美濃守。
23:治承2年(1178)、金堂を建立し金剛寺を再興した高僧。
24:北朝の三上皇が行在所にしていた子院。26:南北朝時代に御影堂の東に増築された月見のための建屋。
27:遠方の、しかも複数の聖地を巡ること。
28:金剛寺は“女人高野”だけでなく、“中世に出逢えるまち”でも日本〇〇〇に認定されている。

  

河内長野のクロスワード天野山金剛寺
河内長野のクロスワード天野山金剛寺編

河内長野のクロスワード【天野山金剛寺 解説編】