【タテの解説】
1:当地と千早との間では索道によって高野豆腐の原料の送り出しと完成品の出荷をしていたので“千早への入り口”の意で、当駅は、千早口(チハヤグチ)駅と呼ばれている。
3:高野(コウヤ)街道は、4つの街道がそれぞれ合流しながら河内長野駅前で一本となり、女人堂まで続いている。
5:諸越橋から腰神神社を経て瀧谷の不動明王寺に至る道は、瀧谷(タキダニ)道と呼ばれている。
6:南海高野線の廃線道は、「大阪の道99選」に選ばれ、“ナンテンのみち”と呼ばれているが、ツツジや紫陽花、八重桜も多く、この道は、“花樹の道”と言える。
7:美加の台駅付近から天見の蟹井神社に至る南海の廃線道は、アニメ“となりのトトロ”に登場する景色に似ていることから、ここは“トトロ街道”と呼ばれているようである。
8:石清水八幡宮を起点とする東(ヒガシ)高野街道は、四つある高野街道の一つ。
9:天見(アマミ)は、餘部(あまるべ)が転訛した地名。
12:三日市(ミッカイチ)宿は、交通の要衝に立地していて、当宿の南には石見川、西と北を天見川が、そして東には導水路が流れ、三日市宿は川に囲まれた環濠集落と言える。
13:西(ニシ)高野街道は、與津で中高野街道、長野駅前で東高野街道と合流する。その後は一本の高野街道となって高野山に続いている。
14:中高野街道は、與津(ヨツ)で西高野街道と合流し、河内長野駅前まで続いている。
15:日本(二ホン)遺産は、地域の歴史的魅力や特徴を通じて日本文化、伝統を語り地域を活性化させることを目的と
してたもので、河内長野では、三つ認定されている。
19:長野(ナガノ)神社は、江戸時代まで木宿堂宮などと呼ばれ、東西の高野街道はこの神社の北で合流していた。
21:里程(リテイ)石は、高野山女人堂への道しるべ。西高野街道では、堺から高野山女人堂に近づく毎に里程石に刻まれる表示里数は小さくなっていく。
【ヨコの解説】
1:日本の中世(チュウセイ)は、平氏政権の成立(1167年)頃から安土桃山時代(戦国末期)まで(諸説あり)を言い、朝廷や公家、あるいは武家や寺社がそれぞれ力を持っていた時代である。そして義経や弁慶、あるいは楠木正成や足利尊氏、信長や秀吉が活躍した時代でもある。なお近世になると武家による江戸幕府が全国を支配する唯一の政権となった。
2:紀見峠を越えた高野街道は、橋本市の東家(とうげ)で伊勢(イセ)道(大和街道)と合流する。この伊勢道は和歌山城下京橋から紀の川沿いを東に進み伊勢につながる道である。
3:河内長野駅周辺は、木材の集荷場であったことからお宮は、木屋堂(コヤド)の宮とか牛頭天王宮とか呼ばれていた。
4:河内長野から川上神社を経て大沢峠を越える道は、大沢(オオサワ)街道と呼ばれ、日本遺産“中世に出逢えるまち”に認定されている。
9:三日市宿の旅籠・油屋(アブラヤ)は、江戸時代、本陣級の旅籠であったが残念なことに建屋は解体されてしまった。
10:大阪陸軍幼年学校(昭和15年、開校)のために昭和13年2月11日、開業されたのが千代田(チヨダ)駅である。
なお跡地には、現在大阪南医療センターなどが建つ。
11:清水(シミズ)は、“弘法清水”と呼ばれる空海伝説の一つに由来する地名で、当地では“二つ井戸”と呼ばれる井戸があり、今も名水が湧いている。
13:江戸時代、高野山金剛峰寺には女性が参詣できなかったので、女人結界石の手前に女人(ニョニン)堂が設けられ、
女性もここから本尊を遥拝できるようにしていた。
16:一里塚(イチリツカ)は、1里ごとに築かれた目印で、東高野街道の錦織には、大阪府下で唯一の一里塚が残っている。
17:観心寺の金堂を取り巻く七つの星(ホシ)塚には、梵字が刻まれた石が配されている。
18:江戸時代の旅館には、食事付きの旅籠(平(ひら)旅籠と飯盛旅籠)と旅人が自炊する木賃宿があった。
19:中(ナカ)高野街道は、大坂・平野から松原、狭山藩陣屋そばを通り西高野街道に合流していた。
20:令和2年(2020)に認定された葛城(カツラギ)修験の構成文化財には、滝畑の光瀧寺や岩湧寺、そして経塚(第14番・第15番・第16番・第17番・第18番)などがある。
22:寺ヶ池は、河内長野最大のため池。“池とその水路”は、“世界(カンガイ)施設遺産”として認定された。
23:河内長野には、“中世に出逢えるまち”、“女人高野“、“葛城修験”の三つの日本遺産(イサン)と世界遺産“世界かんがい施設遺産”が一つある。
24:お参りする聖地が1ヶ所で、そこが遠い場合は“参詣(サンケイ)”、近ければ“参拝”と言う。
25:天野(アマノ)街道は、大阪狭山市の今熊から陶器山、穴地蔵、青賀原神社を経て、天野山金剛寺に至る参詣道で丘陵の上の散策路は緑のトンネル。日本遺産“中世に出逢えるまち”の構成文化財の一つ。
26: 遠方の西国三十三所の観音を巡っていく道は、巡礼(ジュンレイ)道と称され、河内長野では、4番の槙尾山施福寺から5番の葛井寺へ続く巡礼道が市内を走っている。
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