河内長野のクロスワード 『寺社・解説編』

 河内長野は、山青く、水清らかな地である。
この地では、古来より幾多の歴史が刻まれ、多くの文化遺産や史跡が残された。そしてそれらに
ゆかりの人たちが、その名を当地に留めている。
 当地を散策すると、これら多くの史跡や文化財が、我々を待っているし、これらに関わった人々との出会いもある。クロスワードを解いて知的な世界に遊べましたか。史跡や文化財にあふれた河内長野を探訪したいと思われましたか。

R4(‘22)・1・11  横山 豊

【タテのカギ】
1:承安2年(1172)の金剛寺再興時、阿観は、丹生(二ウ)明神を勧請し金剛寺の鎮守とした。なお丹生都比売は、水銀採掘民・丹生氏の女神で丹砂を司どる。
2:役行者ゆかりの行場を巡って行われる修行は、その行場もひっくるめて葛城(カツラギ)修験
と呼ばれ、これらの修行と行場は、修験者と里人によって今も守られている。
4:住吉神社では、氏子が馬の手綱を取り馬場を駆け回る馬駆(ウマカケ)神事が行われるが、
この神事は、神功皇后の三韓征伐の祝賀にちなんで始まったと伝わる。
5:月輪(ガチリン)寺は、三日市の“薬師さん”と親しまれ、諸越長者の伝説もある。当寺と
真教寺、増福寺、旧・正保寺の4ヶ寺は、上田町で寺町を形成している。
11:高向(タコウ)神社は、“五社明神”と言い、祭神は菅原道真など。現社殿は慶長13年(1608)の建立で、外観は3間、内陣は5つの部屋に仕切られた珍しい形式をしている。
12:絵馬(エマ)は、祈願や神仏の恩に感謝するために寺社に奉納される絵が描かれた額。
14:高野山への参詣道・高野(コウヤ)街道は、令和元年(‘19)“日本遺産~中世に出逢えるまち~”に認定された。
17:本尊(ホンゾン)とは、寺院で礼拝される最も主になる仏像で、寺院によって祀られている
本尊は異なる。
18:日野地区の獅子舞(シシマイ)は、獅子頭を被り秋の収穫を祝って舞われる。「六歳(ろくさい)念仏獅子」とも言われ、毎年10月、高向神社に奉納される仏教系の舞いである。
19:延命寺は、空海自ら地蔵菩薩を刻み、お堂を建てて祀ったことに始まる。なお空海お手植えの夕映えの紅葉(モミジ)が残されていて、今も我々参拝者を楽しませてくれる。また残されている「鬼退治の弓」も興味深い。
20:平安の末法思想の盛興に伴い経典を書写し経筒に入れて石槨に安置し弥勒菩薩の現れる後世まで残そうとした。これが経(キヨウ)塚で、塚は、お経を保存するために造られたタイムカプセルである。
22:僧(ソウ)とは、仏道を修行したり伝道をする人たちで、僧侶とか法師などと呼ばれる。
23:皇極2年(643)、蘇我入鹿が創建したと伝えられる河合(カワイ)寺は、中世には河南の三大名刹の一つであった。現在は紫陽花の寺として親しまれている。
24:空海入定の21日は、“弘法”と呼ばれ、東寺や四天王寺などで市が立つが、12月21日は
特に盛大に市が立ち“終い(シマイ)弘法”と呼ばれている。

【ヨコのカギ】
1:女人(ニョニン)高野とは、江戸時代まで女人禁制だった高野山に代わり女性が参詣できた
寺院。天野山金剛寺、慈尊院(九度山町)、室生寺(宇陀市)、高野山金剛峯寺女人堂(高野町)
がある。
2:蟹井神社のご神体は、神社の南の天見川の蟹井(カニイ)の淵から出現したと伝わる。
3:盛松寺の御本尊は、空海自身。その空海は、万病に効く薬として柚子(ユズ)味噌の製法を
村人に教えたと伝えられている。
6:菩薩(ボサツ)とは、悟りを求めつつ、衆生を救うために多くの修行を重ねる尊格で、仏の
世界では二番目の位。
7:勧請縄掛(ナワカケ)神事とは、ご祭神を石清水八幡宮から勧請した日にちなみ、勧請杉と
対岸の柿の木の間に注連縄を架ける流谷の八幡神社の神事で毎年1月に行われる。
8:稚児(チゴ)相撲は、行司の立ち合いのもと土俵上で2歳未満の赤ちゃんを泣き笑いさせて子供の健康と幸福を願う行事で川上神社に伝わる。
9:極楽(ゴクラク)寺は、近畿を中心とした融通念仏宗の寺院であるが、創建は古く聖徳太子が推古天皇の病気平癒のお礼として創建したと伝わる。昭和59年に開眼した露座の大仏が見られる。
10:湯立て(ユタテ)神事とは、神前の釜に湯を沸かし巫女がその湯に笹の葉をひたして巫女
自身や参拝者に振りかける儀式で禊の一種と考えられ、烏帽子形八幡神社や流谷の八幡神社、蟹井神社、長野神社などでも行われている。
13:三日市宿の真教寺では、江戸時代、寺子屋(テラコヤ)が設けられていたが、三日市には
畠山比佐の裁縫塾や黒谷左六郎の剣術道場もあった。
15:増福寺(ぞうふくじ)には、頭が着脱できるマリア像が秘蔵されているが、河内長野市内では、白衣観音や首なしマリアなど数体のマリア像を見ることができる。
16:天皇の仮の宿舎は、“行宮(アングウ)”と呼ばれ、天野山金剛寺は、“天野行宮”と称されている。そのため南北朝時代には、金剛寺は南朝の都であった。
17:空海が当地を巡錫の時、厄除けのため北斗七星を勧請したと伝わる観心寺の星(ホシ)塚は、金堂を取り巻いているが、この星塚を一巡するとその年の厄が払われると言われている。
21:大日寺のヤソ地蔵だけでなく、寺の周辺にはキリスト教に関係する地名・ヤソブ(耶蘇部)や
教会堂が建てられていたとの伝承が残る。
23:観心(カンシン)寺は、大宝元年(701)役小角によって草創され、弘仁6年(815)、空海が
如意輪観音菩薩を刻んで本尊とし、寺号も観心寺と改めたと伝わる河内長野の名刹である。
25:松ヶ丘の松林寺には、歓喜天と共に不動明王(ミョウオウ)が祀られているが、この明王は
悪魔を降伏させて仏法を守護する尊格で、明王では不動明王が一番多く祀られている。
26:長野神社には恵比須(エビス)さまが祀られ、お堂の裏には“恵比須起こしの鉦”が掛けられ
ている。参拝する時は、まず鉦で恵比須さまを起こしてからお願いすると効果的。
27:享保17年(1732)、本多忠統が伊勢神戸へ国替えとなる時、その徳を偲んで奉納したと伝わる神道系の伊勢(イセ)神楽が秋に西代(にしんだい)神社で奉納される。
28:長野神社で10月の秋祭に行われる松明(タイマツ)立神事は、勧請する祭神が鎮座地を間違えないようにと松明を揚げてご案内したことに由来する神迎えの神事である。

河内長野のクロスワード 寺社編 解説

河内長野のクロスワード 知的な世界に遊ぼう!! 寺社 カギ編
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