金剛寺の庭園② こんな風に楽しもう!! 【河内長野 こんなオモロイとこ!!】
河内長野の金剛寺に素晴らしい庭園がある。 金剛寺の庭園は、室町時代に作庭されたようであるが、その後阿波の蜂須賀家政公(小六正勝の子)が手直しし、それを江戸時代になって雪舟流家元の庭師・谷千柳(たにせ …
【河内長野 こんなオモロイとこ!!】
河内長野では、1万年前の旧石器時代から人々が住み、多くの営みが繰り返されてきた。その長い人々の営みが豊かな歴史を作り伝統を育み、歴史に由来する数々の史跡が生み出されて今日に至っている。
また市域の7割が森林に覆われていることから山や川が織りなす美しい景色の数々、地形が育んだ景勝地も多く、まさに風光明媚な地である。
そして東と南には屏風のように折りなして連なる山々は、青々とし清らかな水が市域を廻っている、ここはまさに山紫水明の地でもある。
そして市域は、大和国、紀伊国。和泉国の三国に接した三角形の町・トライアングル シティ。そこを南北に高野街道が貫き、東西には和泉・大和への道も走っている。
市内のどこを歩いていても豊かな自然の中に点在する史跡の数々、汲めども尽きない興味が湧いてきて我々を楽しませてくれる出合いが待っている。これが河内長野である。
“面白く興味深い”そして好奇心を掻き立ててくれる町。これこそまさに“オモロイとこ!!”である。
この“オモロイとこ”を散策し、知的好奇心をクスグラれたい。自らの無知を楽しみ、そして理解できた時の晴れやかな気分に浸りたい。
この“オモロイとこ!!”、 “オモロイ町!!”で。
R2・5・4 横山 豊
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幕末に来日した植物採集の専門家・プラントハンターたちは、町中に多くの花が咲き乱れているのを見て日本は“庭園都市(ガーデンアイランド)”だと驚いたようである。花壇こそ西洋庭園の最も大きな要素だったから …
神仏は清浄を好む。そして我々もまた心身ともに清浄でなくてはならない。 そのため神仏に詣でる時は、手水で手や口を洗い清め、また神を祀る時は、心身の罪や穢れを洗い清めるために禊や斎戒をしてきた。 禊(み …
我が河内長野は、どのような観光資源があるのだろうか。 まず第一は、令和元年に当市単独で認定された日本遺産「中世に出逢えるまち」が、そして令和2年には「女性とともに今に息づく女人高野」と「葛城修験~里 …
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“南朝の都・河内長野で古都・行宮サミットを!!(小京都、小江戸、三ツ星街道)①【河内長野 こんなオモロイとこ!!】” の続きを読む
どこに存在しているのか解らない時、しかもそこが理想境であり夢の国である場合、我々はしばしば“ユートピア”とか、“桃源郷”とか、そして近年では“ネバーランド”などとも言っている。 『ユートピア Uto …
河内長野を国道と府道が走っている。 国道170号線は、高槻市から枚方市、寝屋川市を通り、四条畷市、東大阪市、八尾市など生駒山の西を走り、その後羽曳野市、富田林市など金剛山地の西を抜け、河内長野市に入 …
観心寺に恩賜講堂(おんし こうどう)がある。 この講堂は、昭和3年(1928)、京都御所で行われた昭和天皇即位の大礼の時の饗宴場(きょうえんじょう)の建物であるが、当初より再利用できるように仮設建物 …
河内長野に屋根付きの橋がある。 屋根付き橋は、廊下橋とか、屋形橋、あるいは鞘橋(さやばし)とか蔀橋(しとみはし)、そして有蓋橋(ゆうがいばし)など、いろいろな言い方がされている。 木製の橋は、架橋し …
朱印の歴史は古く、日本で現存する最古の朱印は、江戸時代に福岡県志賀島で発見された金印「漢委奴國王」印である。 そして朱印は奈良時代まで使われていたが、平安時代になると“花押(かおう)”いわゆる墨のサ …
嘉永6年(1853)、暁鐘成(あかつきかねなり)が著した『西国三十三所名所圖會』巻之四に「三日市の駅」の記述がある。 右上田村に隣る。この地は京師(けいし)・浪花(ろうか)よりの高野街道に し …
石碑(せきひ)には、和歌や短歌の歌詞を刻んだものが多いが、童謡や唱歌の、あるいは歌謡曲の歌碑(かひ)もある。河内長野ではそのような歌碑はないし、俳句を詠んだ句碑(くひ)や詩碑(しひ)も建てられていな …
西高野街道は、堺の大小路から高野山女人堂まで58Kmに及ぶ信仰の道である。そしてこの道は平成元年と2年、日本遺産の構成文化財の一つとして認定された。 この道に13本の里程石(りていいし)・(里道標石 …
力石(ちからいし)は、“さし石”とか、“重軽石(おもかるいし)”、あるいは“力試し石”などと呼ばれ、“力試し”や“力比べ”に使われてきた。特に江戸期から明治時代までこの力石を用いた力比べの競技があり …
諸越橋(もろこしのはし) 河合寺村より長野村に架(わた)す。流れは右に いふ西條川にして、末は石川に会する所なり。 然(しか)れども 此地に いたりて 唐川(からかは)と号するゆゑに橋をもろこ …
女人高野、癒しの聖地をいかに体感するか。 一つは、構成文化財を個別に訪問し体感するもの。もう一つは、日本遺産ゆかりの道を歩き数ヶ所の聖地を体感するものである。 【日本遺産 ゆかりの道を歩き、癒しの聖 …